厦門島は(現在2004年は高集海堤で繋がり半島になっている)、鄭成功が父鄭芝龍の勢力下にあった鄭軍全体を掌握したところである。当時、 鄭芝龍が清に投降して北京へ去った後、鄭一族は厦門島に従兄弟の鄭彩と鄭聯が、金門島には叔父鄭芝鳳が大兵力を蓄えて割拠し、海上貿易を続けていた。 鄭成功は一族を束ねる実力がなく南澳島(広東省)で戦闘能力の整備に勤めていた。
勢力がある程度整った時点で、小金門島で「抗清復明」の旗印を掲げ北進して 鼓浪嶼を根拠地とした。厦門島にへばり付くような位置にある鼓浪嶼(コロンス島)は、花崗岩でできた周囲 4Km の小島で、鄭成功は日光岩を中心に城塞化して、 鄭艦隊を強大にした。1650年鄭聯を暗殺して厦門島の兵力を奪還、金門島の兵力を併合して鄭全軍を掌握した。本拠地を鼓浪嶼から厦門島に置いた。
鼓浪嶼の東側には「鄭成功塑像」(上の写真)、日光岩の近くには「鄭成功記念館」がある。


--2004.10.06 現在、鄭成功記念館は改修中、収蔵品は厚芳蘭館で展示している--
--* 2018.04.03 現在、厦門島は海滄大橋・杏林大橋・厦門大橋・集美大橋・翔安隧道で繋がっている--





鄭成功夫妻
・日光岩
鄭成功が城塞とした岩山
・日光岩の砲台
・鄭成功記念館
鄭成功に関する貴重な資料、遺品がある
・鄭成功艦隊の大砲
・鄭成功軍船
鄭成功記念館所蔵の模型



厦門の概要

遠く台湾が眺望できる中国東南沿海の景観の良い海港都市で、経済特区。気候は亜熱帯に属し、年間を通して温暖である。 人々は台湾人に良く似ており、話す言葉も「びん南方言厦門語」、町並みも台湾の街と錯覚するほどよく似ている。
1956年厦門島と大陸の間に高集海堤が築かれ陸続きになった。市内の主な交通機関はバスで、全線どこまで行っても1元。 鼓浪嶼(コロンス島)は亜熱帯植物がいたるところにある花崗岩の島で、1904年共同租界となり、列強国の公領事館や富豪の別荘が立ち並び中国の一般的な街と違った面影を見せている。 この島は自動車、自転車が禁止されておるため1台もなく、観光客用に電動車が活躍している(一周50元)。

厦門市鼓浪嶼鷺江賓館
 
厦門市厦門大学南普陀寺


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