1622年、福建省泉州の貿易商鄭芝龍は平戸川内の武士田川七左衛門の娘田川マツと結婚した。1624年に福松(鄭成功の幼名)が生まれた。福松は 7 才まで川内で過ごし、母マツから中国語(北京語、びん南語)をはじめとした英才教育、武士道、日本剣術を受けた。芝龍は福松が生まれると間もなく台湾に行きオランダ東インド会社の通訳となった。
1631年7才になった福松は父芝龍に呼ばれて中国に渡り、名前を“森”と改名して泉州安平鎮にある安平城に移った。この頃、芝龍は明の海軍提督となって、海上権を掌握して強大な権力をもっていた。
川内には鄭成功の所縁がある旧跡が多く残っている。
生誕地とされる千里ヶ浜には「児誕石」、7才まで住んでいた「居宅跡」、台南の廷平郡王祠から分霊をうけて建立した「鄭成功廟」などがある。
川内町(現、平戸市)では、国姓爺鄭成功が生まれ育ったところとして、おおいにアッピールしている。川内港から平戸港までは約6kmで、
福松はなんども平戸港へ行き、オランダ商館、オランダ船、鉄壁の防御をかためた平戸城や港の出入口に陣取る黒子島などにふれて、見聞を広げたと考えられる。
後年の福松にとって世界観や戦略戦術に強い影響を与えたことだろう。
千里ヶ浜 この砂浜に児誕石がある | 鄭成功児誕石 貝殻を拾いにきた田川マツは、俄かに 産気づきこの岩によりかかって産み落とした |
鄭成功居宅跡 福松が7才まで過ごした居宅、母から英才教育と日本剣道を学んだ。ナギの大木は福松が植えたといわれている。 |
鄭成功廟 台南の延平郡王祠に祀られている 神位の分霊をうけて建立した | 鄭成功の表示板 平戸生まれのアジアの英雄! 国姓爺・鄭成功 |
【毎年7月中旬に川内町丸山公園で“鄭成功まつり”が盛大におこなわれる】
オランダ商館跡 幼い福松は、父芝龍に連れられて何度も ここを訪れ西欧人と折衝する帝王学を 身に着けたと考えられる | オランダ坂 | オランダ埠頭跡 | ||
オランダ井戸 | 平戸港入口に浮かぶ黒子島 福松のイメージに焼きついていると考え られる。後年、厦門の鼓浪嶼を根拠地 にしたのもこの島の記憶からだろうか? 島には熱帯性のアコウの大木がある | 平戸城 福松が何度も眺めたと思われる | ||
オランダ船の碇 川内港から引き上げられたもの | オランダ船(模型) 17世紀のオランダ船の復元模型 |