台南にある1級古跡の赤嵌樓について、22年前にふとしたことから興味を惹かれました。
最近、時間的余裕ができたので再度台南を訪れて、この地に英雄“鄭成功”に関する旧跡が多数あることがわかりました。鄭成功の物語は、日本では近松門左衛門の浄瑠璃“国姓爺合戦”で有名になっています。
鄭成功と関係の深い場所を目で見て検証しながら、他方目新しい観光スポットも紹介していきたいと考えています。
福建省厦門周辺を根拠地にしていた鄭成功は、1661年3月金門島、澎湖諸島を経て台南沖に到着した。
当時この地を占領していたのはオランダ(東インド会社)であり、赤嵌のプロビンシア城に政策の中心を、台湾(安平)のゼーランディア城に防御の主力を置いていました。
赤嵌樓(普羅民遮城 Provintia Castle) 1624年当時、この地を領有していたオランダ東インド会社が創建。1661年鄭成功がオランダを撃破して、この地を承天府と改称した。 当時の建物は現存せず、1879年清朝が建てた中国式の建物が残っている。 | プロビンシア城の復元模型 オランダ東インド会社バタビア(ジャカルタ)基地から派遣された Frederik Coyett 長官が駐留していた。 | |
1917年撮影の赤嵌樓 | オランダ人が建築したプロビンシア城の外観図 | |
鄭成功に降服するオランダ兵の像 | Provintia 城の古城壁 レンガの材料は石灰・粘土で、レンガの接着には 砂糖、もち米を使った。 | |
安平古堡(熱蘭遮城 Zeelandia Castle) 1624年澎湖島を退去したオランダがこの地に建城、奥倫治城としたが1627年Zeelandia城と改称した。 1661年12月鄭成功は攻略、オランダを排除し、王城と改称、この地を故郷泉州安平鎮の地名をとって"安平"とした。 | ||
安平口に照準を合せた大砲 | ゼーランディア城の古城壁 | |
民族英雄"鄭成功"像 | ゼーランディア城の復元模型 |
※参考資料:台南市政府編印