鄭成功の艦隊(300隻、25,000人)は、抗清復明の旗印のもと1661年3月澎湖島を出港、4月1日安平沖に到達した。
当時オランダ(東インド会社)は台湾南部を占領しており、鄭成功艦隊が襲来することを予測して、台湾(安平)にゼーランディア城、赤嵌(Saccan)にプロビンシア城を構えて完璧な防御体制を敷いていた。プロビンシア城(赤嵌楼)は安平湾(台江海域)の奥にあり、湾を取囲むように一崑身島と北線尾島が塞いでおり、出入口は大港と鹿耳門水道があるが後者は水深が浅く大型艦船は通行不可能であった。オランダは一崑身島にあるゼーランディア城(安平古堡)の砲身を安平口に向けて、通過する艦船を射程内においていた。
鄭成功は事前に情報収集と詳細分析をした結果、年2回の大潮に鹿耳門水道を大型艦船が通過できる可能性があると判断した。大潮に日時を合わせて鹿耳門水道を強行通過してオランダの盲点をつき台江海域に入港した。鹿耳門から上陸、プロビンシア城とゼーランディア城を分断して個別攻撃した。オランダは軍艦2隻、舟艇2隻で応戦したが効なく、約1ヶ月でプロビンシア城は陥落、その10ヵ月後にはゼーランディア城も開城した。ここに鄭成功は台湾からオランダを完全に駆逐して、プロビンシア城を"承天府"と改称して政治の中心とした。
一崑身島 | 鹿耳門 | 安平口 |
鄭成功艦隊(模型) | 1722年作成された古地図 |
鹿耳門天后宮(鹿耳門媽祖)鹿耳門は鄭成功が上陸した地点である。現在、ここには豪華な媽祖廟があり この近くに鄭成功上陸之地碑がある。 媽祖は天妃、天上聖母ともいわれる海上安全の 女神で、おもに福建省、台湾省の沿海で祀られている。 |
※台南市政府文化局の資料を参考にしました
台南は台湾中で古跡が一番多くある街で、国家指定1級古跡が7つあり、どこを歩いても名所・古跡にあたるほどである。有名なものとしては次のものがある。
@赤嵌樓 A安平古堡 B億載金城 C孔子廟 D五妃廟 E祀典武廟 F大天后宮
赤嵌樓(Provintia 城) | ||
赤嵌楼 1624年この地を占領したオランダが 当初建造した。 | 足を失った石馬 夜動いて人を驚かせるので足を切られた 場所:台南市中区民族路212 | |
安平古堡(Zeelandia 城) | ||
安平古堡の古い大砲(一崑身砲台) 場所:台南市安平区効忠街 | 安平古堡の古い城壁 1624年オランダが建造したもの。 | |
延平郡王祠の鄭成功像 台湾で最も古く、最も有名な鄭成功祠。 | 延平郡王祠 場所:台南市中区開山路125 |