厦門の旅日記

Part 1

Airline: Philippine Airlines
Flight Path: (go; 10/5) 関西空港09:55マニラ空港13:00 ; 14:10厦門空港16:25
           (back; 10/9)厦門空港17:25マニラ空港19:40
Traveled Purpose: 鄭成功の遺跡を訪ねる

Part 2

2004年10月5日

16:25 厦門空港に到着、大阪-マニラ間、マニラ-厦門間、ともに国際線のため機内食1日に2回食べた。厦門空港は明るく、開放的な雰囲気が漂っている。出口ゲート手前に、ホテル案内所があり、紹介してくれる。今夜泊まるところは出発前から《鷺江賓館》に決めていたので、タクシー乗り場へ一直線。運転手に「鷺江賓館を知っているか」と聞いたら、「よく知っている」というので乗り込んだ。走り出したら「街中は車が混むので、遠周りでも海岸線のほうが速い」と盛んに勧める。「好きなように走れ」というと急にスピードを上げて、嬉しそうに厦門(アモイ)の町を説明しながらとばす。途中「先生の中国語は完璧な普通話(標準語)です」とお世辞まででてくる。約30分で鷺江賓館に到着。50RMB(中国元)。
鷺江賓館は、道を隔てた前方に輪渡碼頭(フェリー埠頭)があり、鷺江の先 500m に《鼓浪嶼》(コロンス島)があり、ロケーションは抜群に良い。370RMB (\4,800.)で泊まる。翌日の朝食前に周辺を探検、特にコロンス島へのフェリー乗り場を確認した。フェリー埠頭があり、更に北に客運埠頭、第一埠頭とあり、客運埠頭からはコロンス島一周の船が出ており、第一埠頭からは周辺の島や町への船が出入りしている。

《厦門市》 -航空機から-鷺江賓館

2004年10月6日

朝食場所はホテルの最上階テラスで、コロンス島が目の前に見えて南欧的な雰囲気、たしかに中国では特異な街の様相がある。昨夜泊まった鷺江賓館は宿泊費が高いのでホテルの変更を考え、周辺を探したら鷺江賓館から北へ 100m、 海関大厦の隣に《春光酒店》というホテルが目についた。早速フロントへ、20〜23才の小姐が3人おり、まず部屋を見せてくれと言うと、にっこり愛想よくOK.。宿泊費230RMB(\3,000.)とのことでホテル変更することに決めた。

鷺江賓館餐庁から鼓浪嶼を望む鼓浪石と鼓浪別墅酒店

輪渡碼頭(フェリー埠頭)からコロンス島へ、このフェリーは行きは料金なしだが帰りにまとめて 3RMB(\40.)必要。コロンス島でフェリーを降りると観光客相手のガイド嬢がむらがってくる。が彼女らを振り切って鄭成功塑像の方へ他の観光客(中国人)と一緒に歩く。この島には自動車、バイク、自転車が禁止されておるせいか全然無く、自分の足で歩くか、8人乗りの観光用電動車に乗るかのどちらしかない。電動車は島一周 50RMB(\640.)。一周 4Km 程度なので歩くことに決め、歩き出した。 10 月というのにやけに暑い、やっぱり亜熱帯だとへんに納得して(あきらめて)、鄭成功記念館を目指して一路驀進? 標識に従って歩いていくが途中で標識が無くなり判らなくなる、物売りの叔母さん叔父さんに道を聞いても、あっちだこっちだとなかなか的を得ない。困っていると、通行中の小姐が日光岩の方角だというので指示どうり歩いていったら、入園料をとるゲートに出た。入場券売場で「鄭成功記念館はこのゲートの中にあるのか」と聞いたら「有」というので 60RMB(\770.) 払って入場。この料金にはロープウエイの往復運賃も含まれていた。かんじんの記念館は改修中で入れない、殆どの中身は近くの厚芳蘭館を臨時展庁にしているので見ることができた。展示品は総て写真撮影が可能だった、このてん、中国人は大らかで、大いに気に入った。
有名な日光岩に登り、ロープウェイで往復して下山。亜熱帯性気候地帯のせいか、暑いし汗をかいて気持ちが悪い、途中で掻き氷を食べ山を下ったら砂浜のある海岸に出た。洒落た鼓浪別墅酒店(ホテル)があった。試しに宿泊費を聞いたらSea Viewで590RMB(\7,600.) とのこと一人で泊まるには高すぎる。このホテルの前に《鼓浪石》がある。すぐ隣には旅游碼頭があり、出帆まぎわのフェリーがあったので行き先も聞かずに乗船した。フェリーは 3RMB(\39) で厦門の客運碼頭へ着いた。どうやら厦門-コロンス島間はどこで乗船しても往復 3RMB らしい。

日光岩の入り口コロンス島の観光電動車

午後は泉州行きの下調べで鉄道の駅(厦門火車站)と高速バス乗り場の確認をすることにした。地図で見ると、厦門駅の前あたりに梧村汽車站(バスターミナル)あるはず、輪渡(フェリー前)から厦門站までバスで1RMB( バスは市内どこまで乗っても)。梧村汽車站はあるにはあったがずいぶん質素な駅舎で、どうも高速バスが頻繁に出ている雰囲気がない。聞いてみたら、長距離バスは《松柏長途汽車站》に移動したとのこと。厦門站前から松柏長途汽車站へ直行バスが頻繁に出ている。泉州行の高速バスは 20分〜30分毎に出ており、乗車券は当日発売。これで明日の泉州行きは高速バスに決まり。
時間を有効に使うため今日中に厦門の名所旧跡をできるだけ多く廻ることにする。まず厦門大学行きのバスに乗る。大学の中に魯迅記念館があるはずだが、大学構内に入れてくれない。北京の清華大学はタクシーでも気持ちよく入場させてくれるのに。厦門大学の隣に《南普陀寺》がある。南普陀寺は五老峰の下にあり、唐末五代に建てられた。著名な仏教経典や絵画が沢山保存されている。游覧料 3RMB 必要。大王殿の前に大きな池があり人が大勢群がって魚に餌をやっている、日本ならさしずめ鯉であるが、ここに居るのは『鯰』だった。寺院前からバスに乗って胡里山炮台へ、この砲台は 1891年に海防目的で造った軍事要塞。古い大砲が海に向いて設置されている。帰りは胡里山炮台始発の輪渡行きバスでホテルへ帰った。

厦門站松柏長途汽車站

2004年10月7日

朝8時にチェックアウト、泉州へ全荷物を持ち歩くと行動が制限されるので、ホテルで預かってもらうことを考えた。フロントの小姐に8日夕方まで預かってくれと頼む、「好了我知道了。」とこころよく了承してくれた。ホテル前の輪渡バス停から松柏長途汽車站へ市内バスで、高速バスターミナル2階切符売場で「泉州へ一番速く発車するバスの切符がほしい」というと、09:40 発車の切符を端末機から打ち出した、36RMB(\460.)。途中各地で停車する切符は1階で販売している。バス車内は横3列座席(2列+1列)の豪華車両。泉州までノンストップ、快適なバスの旅が楽しめた。

南普陀寺大王殿環島路 -胡里山炮台から-

2004年10月8日夜

南安市石井からバスを乗り継いでアモイの松柏長途汽車站に到着、松柏長途汽車站から輪渡へ市内バス。夕方6時に春光酒店に帰着、あらためてチェックインして預けてあった荷物を受け取る。フロント嬢が可愛いいのでつい「晩飯、一緒に食べよう」「嬉しい、一緒に行く」と3人の小姐が誘いに応じてくれた。ただ勤務が 23時までなので、その後になるとのこと。こんな時間では自分の体内時計と差がありすぎ、無理だと思ったが(あとで考えると)その時点ではっきり断わらなかったのが失敗。夕方、1人で食事をして、昼間の疲れから寝込んでしまった。夜中に電話が鳴り起こされた、電話はフロントの小姐で時間は 23:05 、しまった! はっきりキャンセルをしておかなかった。仕方がないから深夜の晩餐会?へ。20才ぐらいの小姐3人と海鮮料理店へ。深夜だというのに彼女たちの良く食べること、若さにとても太刀打ちできない。晩餐会費用はかなり豪華版だったが4人で 283RMB(\3,600.)。
一般的に、この街の人は愛想がよく、顔かたち体形が日本人とそっくりで、隣近所の(日本の)叔父さん叔母さんお姉さんに良く似た人を見かける。民俗学的なことはよく解らないが、この地から日本に渡来してきた人が多いのだろうか。

2004年10月9日

厦門空港 17:25 発のフィリピン航空でマニラへ向かうので、14時まで時間がある。コロンス島の「鄭成功塑像」を海上から写真に撮りたい。フェリー埠頭の隣からコロンス島を海上一周する船が出ているので、海上 35分のこれに乗る。船上では最も《小金門島》に近づいた時点で双眼鏡を貸してくれたが、あいにくこの日は霞んでいて何も見えない。「鄭成功塑像」はデジカメでばっちり、これだけでも船に乗った価値があった。途中、コロンス島に上陸したい人は下船して、島を遊覧し、後からくる次の便船で厦門のフェリー埠頭へ帰ることが出来る。
午後2時に、輪渡バス停から機場(空港)行きの市内バスに乗る(1RMB)。約1時間で空港着、到着したバス停から《厦門高崎国際空港》まで約500m ぐらいあった。
PR331便は定刻に飛び立ち、 マニラ空港へ。さあ、これからは頭の中を中国語から英語へ転換。今回の『福建省の旅』はいろいろな面で楽しかった。

鄭成功塑像と厦門魚を売る -コロンス島-

[語 彙]
機場;空港火車;列車
輪渡;フェリー汽車;動車
碼頭;埠頭小姐;お姉さん


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