泉州の旅日記

2004年10月7日

快適な高速バスは厦門から《泉州汽車站》に11:20 到着した。まずバスターミナルを観察する。 地図によるとここは泉州新車站となっている。このターミナルからは、中国のあらゆる所へ高速バスが出ている。 北京、上海、南京、西安、福州、青島、広東、香港など。厦門への帰りのバスもここから発車していることを確認した。 次は今夜の宿をきめる必要がある。周辺を見回し、泉秀街を歩いたら《金洲大酒店》さらに《東方大酒店》、道路の向かい側に《景都大酒店》が見えた。 入口に各々宿泊費が貼ってあり、それぞれ 138RMB、 128RMB、 148RMB、 となっている。バスターミナルに一番近い金洲大酒店に足を向ける。 3星でかなり綺麗、フロントで値段を聞くと168RMB(\2,200.) とのこと。看板の 138RMB よりは高いが、それでも安い! でも部屋を見てからと、 「部屋をみせてください」「どうぞ」と7階のツイン部屋(泉秀街側)を見せてくれた。かなり良くきれいなので、決めることにする。 フロントでチェックイン手続き、例によりまずパスポートの提示を求められる、フロント嬢さかんにパスポートのページをめくっている。 「何を探しているの?」「ビザはどこにあるの」とさらに探しているので「ビザは無い」「どうして?」しばらくして、はっと気がついき「日本人はビザ要らなかった」と言って顔を見てにっこり。 このホテル日本人が来たことが無いのだろうか。(翌日チェクアウトのとき、「Check out !」と言うと聞き取れない素振りをするので、 メモ用紙に書いたら益々わからないという、ボーイ2人の応援を加えて3人で書いた英語を眺め首を傾げている。結局中国語以外は通じないということか。)

泉州新車站金洲大酒店

まず、《泉州海外交通史博物館》を目指す。アモイには無い輪タクに乗ることにする。 ホテルの前で立っていると、通りかかる輪タク、バイタクに声を掛けられる。叔父さんの輪タクに乗る。 乗り心地は良くない、おまけに途中で道が分からなくなったとこぼす。「商売していて道が分からないのは、恥ずかしくないか?」と言うと 「俺は外省人で、あまり道を知らない」とのこと、(客にとって道を知らないことと外省人であることは関係ないと思うが)でも彼はそれなりに努力して、 交通警官に聞いたり、すれ違った同業者に問合わせたりして、なんとか目的地へ着いた。

《泉州海外交通史博物館》は建物前に池があり宋代の復元船が浮いている。 館内は期待した収蔵品(鄭成功に関する遺品、資料や泉州湾に埋まっていた宋船、イスラム教徒の墓碑など)が多くありおおいに感動。 入館者も私以外に親子連れが1組で、気に入った展示品の前で写真を撮ったり、眺めたり思うように過ごせた。

泉州海外交通史博物館泉州沖で引揚げられた宋代の船

博物館前からタクシーで《開元寺》へ、途中で運転手が言うには「開元寺の入り口へは一方通行で、遠回りになる。 交差点の前で下車した方が得」とのこと。親切なタクシー運転手だった。言葉どおり下車して西街を10分歩いて《開元寺》に到着。 開元寺は 686年に創建され、宋代には 120 の支院を有して興隆を極めていた。境内にある双塔(仁寿塔、鎮国塔)はとくに有名で泉州の港が繁栄していたころ、 海外へ出帆する船上から双塔がくっきり見え心の支えになったものと思われる。開元寺前にはいろいろな商店が中山北路交差点まで続いている。 この商店街(西街)の裏路地に足をいれると、いかにも昔の中国的家屋、路地があり、なんとなく郷愁感に浸ることができる。 北京前門から瑠璃廠への裏道の町並みとどこか似ている。

開元寺大雄宝殿開元寺仁寿塔

午後4時、まだ日暮れまでには時間がある。ホテル(金洲大酒店)前でバイタクを捉まえ、 「ここから洛陽橋までの来回(往復)、いくら?」「50RMB(\640)」「高い! もっと安くしなさい」「片道25分かかる。 45RMB(\576.)」妥協して、バイクの後席に跨る。《洛陽橋》(万安橋)は夕日を浴びてオレンジ色に輝ており、素晴らしい景観を現していた。 橋の付近にある橋南地区は『蛎』の養殖をしているのか、水揚げした蛎を道路にひろげていた。バイクは約束通りホテル前に無事到着。
晩飯はホテル横の(ホテルと同じビル)《藍&海》で食べることにする、この店の雰囲気は関西によくあるチェーン店〈ザめし屋〉に良く似ており、 ウインドウ内にある惣菜を指して出してもらう。食べていると巡回している店員が品種、数を記入した伝票を置いていく。食後レジで清算、今晩の晩飯総額は23RMB(\295.)。

洛陽橋レストラン《藍&海》

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厦門の旅日記