北京原人化石ロゴ



Last Update: Mar. 05, 2009

発掘の経緯:

北京原人(Homo erectus pekinensis)は、北京の南西約50kmの房山県周口店龍骨山で発見された。
1914年、中国政府から招請をうけて鉱業顧問として滞在していたアンダーソン(スウェーデン)は、龍骨山で龍の骨が出土 しているとの話を聞いて化石骨があると察し発掘調査した。帰国した後、採集した多数の動物骨を整理しているときに人類の 臼歯化石を発見した。
1927年、ロックフェラー財団は、発掘責任者に北京協和医科大学のブラック(カナダ)を任命した。 彼は再び臼歯化石を発掘し、「シナントロープス・ペキネンシス」と命名した。1929年12月2日、助手の中国人考古学者、 裴文中が完全な頭蓋骨化石を発見した。発見された化石骨は北京協和医科大学新生代研究所に送られ、ここでブラックの手で調査・研究された。 1934年、ブラックは研究所内でペンを握ったまま倒れ、不帰の人となった。後任にはワイデンライヒ(ドイツ)が 任命され、発掘調査を1937年まで続けたが日中戦争が始まる前にアメリカへ帰国した。

発掘採集されたもの:

ほぼ完全な頭蓋骨 6破片化した頭蓋骨 12
下顎骨15157
大腿骨破片 7その他多数

化石紛失の経緯:

発掘採集された化石骨は、ロックフェラー財団経営の北京協和医科大学に保存されていた。
1940年ごろから日本とアメリカの関係悪化が 著しくなってきた。中国とアメリカは化石骨の安全確保目的でアメリカ(アメリカ自然史博物館)へ一時保管する輸送計画を進行させていた。
1941年12月8日、 開戦と同時に日本軍は北京協和医科大学を占領し、化石骨を探したが見つからなかった。これ以降、化石骨はどこへいったか行方不明に なっている。

紛失についての考察:

最近、中国では化石骨は台湾海峡に沈没している阿波丸に積載されているとの説があり、沈没船を引揚げるとの報道もある

化石骨の現状:

太平洋戦争の混乱で1937年以前に発掘された「ほぼ完全な頭蓋骨5個」が紛失行方不明になっている。紛失する前に当時 北京協和医科大学教授で発掘責任者だったワイデンライヒ(ドイツ)が複製や詳細研究記録を残している。
1966年、裴文中の指揮で再び発掘が行われ、頭蓋骨破片2個、歯1個、石器173個などが発見された。その後の調査研究で 新たに発見された頭蓋骨破片2個と1934年、1936年に発見された頭蓋骨破片とがほぼ完全な頭蓋骨に組み合わせることができた。 2003年9月21日〜10月7日に周口店の北京原人遺跡博物館で一般公開された。

解剖学教室新生代研究室

北京原人の化石骨が発掘された周口店の"北京原人遺跡"(中国では北京猿人)は、1987年にユネスコの世界遺産に
"Peking Man Site at Zhoukoudian"の名前で登録された。


AnderssonBlackWeidenreichPei
  • アンダーソン(スウェーデン);Johan Gunnar Andersson (1874-1960)
  • ブラック(カナダ);Davidson Black (1884-1934)
  • ワイデンライヒ(ドイツ);Franz Weidenreich (1873-1948)
  • 裴文中(中国);Pei Wenzhong (1904-1982)