Last Update: December  15,  2017
Since: October  06,  2016
  
所在地宮城県宮城郡松島町松島字町内91
山 号青龍山せいりゅうさん
宗 派臨済宗妙心寺派
本 尊聖観音菩薩 Arya Avalokitesvara
文化財国宝[本堂御成玄関 庫裏回廊]    重要文化財 [本堂障壁画 木造五大明王像 雲版 奥州御島頼賢碑]


本堂障壁画(重要文化財)

日本三景・松島にある臨済宗妙心寺派の寺院で青竜山瑞巌円福禅寺。828年、円仁の開山と伝えられている。初め天台宗で青竜山延福寺と称したが、 鎌倉時代に北条時頼により臨済宗に改宗した。1605年伊達政宗が堂宇造営に着手し、1609年に本堂が完成した。 境内に臥龍梅と呼ばれる紅白2本の梅の木があり、伊達政宗お手植えと伝えられている。
江戸時代には仙台藩主伊達氏の菩提寺として栄え、塔頭たつちゆう22ヵ寺、末寺50ヵ寺をかかえる大寺で、寺領は約750石あった。
1689年5月6日(新暦6月25日)、『奥の細道』紀行で松尾芭蕉は瑞巌寺に詣でた。その時の紀行文を写す・・・

十一日、瑞巌寺に詣。当寺三十二世の昔、真壁の平四郎出家して入唐、帰朝の後開山す。其後に、雲居禅師の徳化に依て、 七堂甍改りて金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。彼見仏聖の寺はいづくにやとしたはる。
瑞巌寺の航空写真



本堂内の障壁画(重要文化財)

鷹の間松の間 菊の間上段の間
鷹の間松の間 菊の間上段の間


国宝・重要文化財

  
本堂(国宝)
書院造りの入母屋造本瓦葺、
三方に広縁・落縁を廻らしている。
庫裏(国宝)
切妻造り本瓦葺の禅宗寺院の台所。
屋根に入母屋造りの煙出しを載せ、
唐草の透かし彫りを施している。
五大堂(重文)
伊達政宗が造営した桃山建築
宝形造で本瓦葺。蟇股には十二支の
彫刻。額には「五太堂」と彫られている。


御成門(重文)
天皇・藩主専用で入母屋造本瓦葺の
薬医門。扉には七宝輪違い文が装飾
されている。
中門(重文)
切妻造、柿葺の四脚門。扁額
「瑞巌円福禅寺」は100世洞水東初の
筆。
総門(県重文)
伊達政宗が建立した一間一戸袖塀
薬医門。2004年修復工事が行われた。
額「桑海禅林」は105世天嶺性空の筆。


石窟遺跡

法身窟
洞窟の右に楊柳観音、左に鎮海観音
の石碑。左側奥には、仙台出身の
大横綱谷風と両親の碑がある。
洞窟遺跡群
第3紀凝灰岩層を掘った洞窟は江戸
時代の洞窟群で、内部には塔婆・五輪
塔・戒名等が無数に刻まれ、供養場
として使用されていた。
鰻塚
洞窟遺跡の前に、松島湾で捕れた鰻を
供養するため地元民が鰻塚を建立した。
1923年の開眼法要では、"鰻塚"の文字
を126世松原盤龍が揮毫した。


瑞巌寺付近の案内図

瑞巌寺の案内図
概略案内図


境内にある文化財

聖観音菩薩(本尊)伊達政宗の位牌 伊達忠宗の位牌伊達政宗の像

宝華殿ほうげでん(御霊屋)

伊達政宗の正室・愛姫(陽徳院)御霊屋。政宗の念持仏と政宗・愛姫の位牌が安置してある。1660年、3代藩主綱宗によって造営された。愛姫は三春城主田村清顕 の娘で、政略結婚により12才の時に政宗に嫁いだ才色兼備の夫人。
宝華殿は、2006年から3年かけて復元された。松島の美しい景色が望める高台に建っている。
金翅こんじ

塔は瑞巌寺101世鵬雲東摶禅師(1612?〜1703) の墓所。中央が鵬雲、右が丹源文叔(114世)左が牧舟禅慧(116世)の墓。鵬雲は尾張総見寺北禅禅秀の下で僧となり、長じて松島に行脚、瑞巌寺100世洞水東初に参じ嗣法した。 1661年に瑞巌寺101世となった。塔は2001年整備事業を行った。
金翅鳥は音訳では迦楼羅(かるら)という。
李登輝の句碑

2008年6月8日、「学術・文化交流と 『奥の細道』探訪の旅」のテーマで来日した折、宮城県松島町で曽文惠夫人とともに詠んだ俳句の句碑が建立された。句碑の字は李登輝先生自らの揮毫により、 下記の俳句が刻まれている。

松島や光と影の眩しかり     李  登輝

松島やロマンささやく夏の海   李曽文惠
GARUDA(ガルーダ)とは……

インド神話にある炎の様に光り輝き、口から火を吐く神鳥。
翼は赤色で全身は金色、龍を好んで食べる。



【参考文献・データ】
  1. 堀野宗俊 『瑞巌寺の歴史』 瑞巌寺   1997
  2. 新野一浩 『瑞巌寺境内遺跡とその周辺』 東北中世考古学会 高志書房  2006
  3. 瑞巌寺HP 『http://www.zuiganji.or.jp/index.html』  2016
  4. 松島観光協会 『電脳松島絵巻』  2016