鷲が羽を広げたような形をした、複雑な尾根筋を持つ険しい山でる。この山には新名氏が築城した鷲ノ山城跡がある。
山の名前は鑑真が大宰府から都に向かう船旅の途中、夢の中で老僧のお告げがあり、インドの霊鷲山に似た山が綾の地(坂出市、国分寺町)にあると聞き、この山を探し出して
命名したいわれている。山の東麓にある鷲峰寺も、そのゆかりの寺であるといわれている。
鷲ノ山で採れる石は柔らかく加工しやすいので、古くから盛んに切り出されていた。中腹には、かつての採石場跡などがみられ、"泣き岩" という岩がある。
泣き岩は、鷲ノ山の神と堂山の神が喧嘩して、堂山の神が鷲ノ山の御殿に火矢を射ち、御殿が焼けた。そのときに、鷲ノ山の神が涙を流した石と伝えられ、岩は現在でも
涙でぬれているといわれている。
鷲ノ山では鷲ノ山石(輝石角閃石安山岩)が産出する。この石はや柔らかく加工しやすいので、古墳時代には石棺として利用されていた。麓の石船天満宮には刳抜式石棺が
保存されている。
GPS 測定によると全行程 2.73km あった。コルから第1ピーク・第2ピーク・第3ピークを経て鷲の山までは細い尾根筋で、 アップダウンが激しいが、滑りやすい急な箇所には
トラロープが設置されいる。登山路は整備されており、快適に通過できる。石船へは第3ピークから草深い尾根の急降下で、殆ど通過する人がないせいか荒れ放題になっている。
尾根の下のほうで登山路が全くなくなり、余分のアルバイトが増加する。