Last Update: March  10,  2018
Since: March  07,  2018

    宇和島城は、中世の丸串城(板島城)の跡に藤堂高虎が築いた織豊形式の城郭。標高74mの丘陵山頂に本丸を中心に二ノ丸、その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、 藤兵衛丸の北に長門丸を中腹に配置し、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせた平山城になっている。 東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しており、海城となっている。
縄張城郭は、藤堂高虎の創建した当時の形が活用され、五角形平面の縄張り空角の経始あきかくのなわは四角形平面の城と錯覚させる策略であった。 現在の天守などの建築は、後に入城した伊達氏によるものである。
宇和島城には本丸天守から、原生林の中を抜ける間道が数本あり、西海岸の舟小屋、北西海岸の隠し水軍の基地などに通じていた。 現在は堀も海も埋め立てられており、明治以降に大半の建物が撤去され城郭は“城山公園”として整備されている。現在も残っている“天守”は重要文化財で、 “上り立ち門”は市指定文化財となっている。この城山公園には450種の草木がうっそうと生い茂り、苔むした石垣群と織り成す幽玄の世界を醸しだしている。

§Uwajima Castle§
Uwajima Castle was built by Lord Takatora Tohdoh, who was a master castle designer in Edo era. The well-balanced donjon is one of the very few which remain as originally built and is designated as national important cultural assets.



宇和島城天守 (2018.03.07撮影)




宇和島城の天守



宇和島城天守 @宇和島城天守 A天守内の階段
天守から海を見る城山郷土館宇和島城への登城路
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宇和島城案内図




           
潜淵館付属茶亭

鯉や鯰がおよいでいる池

養老の滝

白藤の太鼓橋

春雨亭

淡竹



天赦園は、伊達宗利が1672年に海を埋め立てて造成した浜御殿の南東部を、7代伊達宗紀が隠居場として改造した庭園。1866年、整備完成したのちに“南御殿”と称し、 庭園を“天赦園”と命名した。天赦園の名称は、伊達政宗が述懐していた酔余口号すいよこうごうの漢詩から採った。            * 酔余口号; 酒に酔ったときに、即興で作る詩
                    馬上少年過 世平白髪多 残躯 不楽是如何

天赦園の敷地面積は 11,240 m2 あり、大規模な池泉廻遊式庭園となっている。また、池護岸や南東部の石組に陰陽石、三尊石組や枯流石組を配置して おり、心を楽しませてくれる。

§Tenshaen Garden§
Tenshaen is a typical Japanese garden with a large pond in the center. It was constructed to be the retreat of Munetada, Date's 7th lord, after his retirement. Various flowers are in bloom at all seasons. Wisteria and iris are particularly beautiful.


天赦園案内図




    [参考資料]
  1. 宇和島市教育委員会文化課 『宇和島城』 ― 宇和島城 パンフレット ―   2013
  2. 西ヶ谷恭弘        『定本 日本城郭事典』  秋田書店    2000
  3. 宇和島伊達文化保存会   『名勝 天赦園』 ― 国指定  天赦園 パンフレット ―   2017