鎮座地 | 香川県さぬき市津田町津田106 |
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旧社格 | 郷社・神饌幣帛供進神社 |
勧 請 | 山城国石清水八幡宮の分霊を勧請 |
祭 神 | 誉田別命 息長帯姫命 玉姫命 |
文化財 | 三十六歌仙扁額 |
承平6年(936)8月、多和郷の産土神として神野の地に創祀した、天暦4年(950)3月、山城国石清水八幡宮の分霊を勧請したとか、 承和元年(834)、宇佐八幡より奉遷勧請したともいわれているが、どれも定説ではない。一説には、安富肥前守盛方が雨滝城鬼門 守護のため、宇佐八幡を勧請して建てたとの説もある。
天正11年(1583)、兵火にかかって社殿焼失したが、文禄元年(1592)8月再建。慶長年間干ばつが続き境内地を含めて新池築造のため、 慶長5年に現在地に遷座した。明治4年、それまで津田八幡宮と称してきたのを石清水神社と改称した。同年郷社に列せられ、 明治40年9月、神饌幣帛供進神社に指定された。
津田石清水神社鳥居 | 随神門 | 本殿 |
子宝の松 | 36歌仙扁額と47士絵 | 津田八幡宮(篆書体で表現) |
その昔は砂丘であったと考えられる。いつのころからか常楽寺(津田小学校の位置)住僧が燃料用や防風林と
して、あちこちに植林していた。
生駒時代になって旱魃相次ぎ、里人は灌漑水に窮して生駒親正に溜池の新設を願い出た。溜池の候補地になったのが旧八幡社の境内で、
境内のの周囲の池を合わせて新池を築いて御座田池とした。八幡社には、代替地として海岸一帯を与えられた。
津田、鶴羽の氏子により松数万本が植樹されで、八幡社は神域がつくられ、慶長5年(1600)3月に現在地に遷座した。 寛永10年(1733)の"讃岐国古地図"には欝蒼とした松原が記載されている。大正4年には県立公園に指定され、琴林公園と 名付けられ、白砂青松の広大な面積に、根上り松の独特の風趣を添えた地区になっている。 | ||
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【参考文献・データ】
- 『再訂 津田町史』 津田町 1986
- 『津田町外史』 津田町 1986