Last Update: January 12, 2019Since: January 08, 2019
県道278号線(さぬき新道)の綾歌町栗熊東あたりに“栗隈城跡”への標識板に従って農道を登る。“林道高見峰線起点”の標識と“栗隈城跡案内図”が表れる。 狭い林道を更に進むと、高見峰神社の鳥居に着く。鳥居前に10台ぐらい駐車できる広場がある。
鳥居からは登山路が始まる。途中、沢を渡渉する箇所があり、左岸を高播きして、滑りやすい急な登りを詰めると大高見峰と 小高見峰の間にある稜線コルに出る。左の登山道を登ると四電の鉄塔を経て大高見峰頂上(504.1m)に到達する。
大高見峰頂上は広場の様相があり、奥へ進むと高見峰神社に出る。鳥居と社殿があり山上の神社としては立派な建物と思える。様相は近くにある高鉢山によく似ている。 降りは表登山道を使った。杭を並べた階段状の道で歩きにくい。途中に役小角の石像が祀られている。石塔と鳥居を通過すると 表登山口に出る。ここには舗装した駐車場がある。丸河集落で林道高見峰線への道を聞いて出発点へ戻った。
大高見峰ルート地図(林道高見峰線登山口〜表登山口) |
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Track-Log by Garmin [etrex VISTA HCx] |
名 称 : 大高見峰(おおたかみぼう) 標 高 : 504.1m 場 所 : 丸亀市綾歌町栗熊東 登 山 : 2019.01.08
[登山口〜猫山] 林道高見峰線鳥居(登山口) →00:15→ 渓流渡渉点 →00:25→ 大高見峰小高見峰稜線 →00:15→ 大高見峰頂上 |
[猫山〜登山口] 大高見峰頂上 →00:02→ 高見峰神社 →00:18→ 役小角石像 →00:23→ 高見坊鳥居 →00:07→ 表登山口 |
県道278号から入口 | 林道起点にある栗隈城跡案内図 | 林道登山口の駐車場 | 高見峰の伝説説明板 | |||
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林道登山口の鳥居 | 登山路 | 渡渉地点 | 左岸の古い石段 | |||
大高見峰への登り | 大高見峰の三角点 | 高見峰神社 | 高見峰神社の内部 | |||
大高見峰への階段 | 行者(役小角)の石像 | 鳥居・石灯籠 | 大高見峰登山路説明板 |
大高見峰の遠景 |
綾歌三山の概念図 |
[林道高見峰線起点〜分岐点〜琴ケ滝] 起点(栗隈城跡登り口) →00:20→ 栗隈城跡 →00:15→ 栗隈城跡登り口 |
栗隈城は、中世期に築かれた城郭で、ここから3kmほど西南西に位置する城山の頂上付近に築かれている西長尾城に居城していた 城主長尾大隅守元高の一族が支配した山城である。初代城主は、長尾大隅守元高の4男田村上野介親で、その後6男上野介が継いだといわれている。
長尾大隅守元高は、美野郡宅間郷筥御崎を領して海崎伊豆守と名乗っていたが、白峰合戦で細川頼之に従って戦功をたてたことを認められ、栗原、岡田、長尾、 炭所の4村を新領地として受けて西長尾城に移った。元高は大隅守を任ぜられたことによって長尾大隅守を称するようになった。以降、代々の長尾氏によって この地域が治められてきた。
長尾一族は、それぞれの村に支城を配置した。そのひとつが栗隈城である。栗隈城は大高見峰の北に延びる尾根を下った標高200m付近で傾斜が緩やかで台地状になった 尾根上に位置している。この付近は湯舟山ともいわれていることから湯舟城ともよばれている。
主郭部は楕円形で周囲より一段高くなっており、その両側の尾根はそれぞれ三重の空堀によって分断されている。更にその下手は連郭式の曲輪群が連なっている。 主郭部から西に延びる小さい尾根にもわずかに曲輪が配置されている。また、その北部に手指状に延びる尾根には、城主の居館跡であると伝えられる田村城跡 など関連する遺構が認められ、それらを栗隈城が束ねていたものと考えられる。
栗隈城は、天正10年(1582)の長宗我部元親の中讃攻略に伴い、長尾氏が西長尾城主の地位を国吉甚左衛門に譲ったことによって廃城となったと思われる。
―丸亀市教育委員会 栗隈城跡(湯舟城跡)案内板より引用―
栗隈城跡ルート地図 |
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Track-Log by Garmin [etrex VISTA HCx] |
林道高見峰線起点 | 栗隈城跡への登リ口 | アプローチ道 | 曲輪 | |||
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切岸 | 本丸跡 | 館跡 | 曲輪 | |||
栗隈城跡縄張図 | 栗隈城跡案内図 |
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