Last Update: June  14,  2019
Since: December   20,  2018

    高梁市にある≪ベンガラの街・吹屋ふきや≫は、標高550mの山間にある。江戸時代中期から天領として吹屋銅山を中心とする鉱山町へと 発展してきた。幕末から明治にかけては、銅鉱とともに硫化鉄鉱石を酸化・還元させて製造したベンガラ(酸化第2鉄)の巨大な産地として繁栄した地域である。
赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された家々が整然と続く吹屋の町並み、これは江戸末期から明治にかけて吹屋の実力者達が後世に残した特筆すべき 文化遺産といえる。
吹屋の街の特異な点は、個々の屋敷が豪華絢爛を競うことではなく、合議して石州(島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一された 思想の基に建築されたことにある。 1973年に岡山県のふるさと村に選定され、1977年には下谷、下町、中町、千枚の4地区が国の重要伝統的建造物群保存地区の選定された。 街並みが続く家々の屋根は特徴的で、赤褐色や黄色などの瓦などさまざまな色合いの石州瓦で葺かれている。外壁は白壁、海鼠壁なまこかべ、 焼板などがあり、土壁は赤土を使用した薄い赤色となって、街並全体が朱色に染まっている。

There are a town of Bengala(red ocher) and Fukiya in Takahashi-city in the valley of 550m above sea level. To Kozancho where the Fukiya copper mine is made the center in the Edo Period as a royal precinct from middle term.
It has developed. I make them oxidize a pyrites stone as well as copper bearing ores and return from Bakumatsu to Meiji, and it's a prosperous area as a huge producing center of produced red ocher (ferric oxide Fe2O3).
Magnates in Fukiya left rows of stores and houses on a street and this in Fukiya where unified each house continues orderly by the outward appearance of the red Sekishu-kawara(tile) and the red ocher color in posterity from Edo last years to Meiji, I should mention specially. It can be said a cultural heritage.
Each residence competed for gorgeousness, but the point that a town in Fukiya is peculiar consulted, and caused temple carpenter's master builders from Sekishu (Shimane-ken), and the whole town was unified. It's in the base of the thought in being built.
It's selected in a home village in Okayama-ken in 1973, and the important preservation district of historic buildings by which Shimodani, Nakamachi and Senmai 4 areas are a country is in 1977, it was selected.
The roof of each house streets follow is characteristic, and a tile of auburn and yellow is covered with Sekishu tile of the various shades. An outer wall is a white wall, namako(sea cucumber) wall or yakiita(baked plate). The whole streets will be, and are dyed in vermilion with the light red which had a baking board and used a red earth for soil wall.





名 称吹屋ふるさと村
標 高550m
場 所高梁市成羽町吹屋
見 学2018.12.02



     
ふるさと村街並(旧片山家住宅)ふるさと村街並(吹屋郵便局)ふるさと村街並
ふるさと村街並ふるさと村街並(麻田百貨店付近)1770年創建の山神社

重要伝統的建造物群の街並


Comment:  ベンガラは成羽町吹屋の特産物として、陶器、漆器、建造物、船舶等の高級塗料として使用されてきた。鉱山の捨石から偶然発見された天然弁柄で、 高級品として有名になり、全国に販路を開いた。
高級品は陶磁器(九谷、伊万里、薩摩など)の模様書きに、漆器(輪島・讃岐など)の下塗や家具塗装、染料、印肉、船舶錆止め等、非常に広範囲に使われてきた。  ベンガラの成分は酸化第2鉄を主成分とする無機赤色顔料の一種で、主原料は緑著(ローハ)といい、銅鉱採掘時銅鉱脈の近くで産出したので「銅近」ともいわれた。
1707年に吹屋ベンガラが誕生した。発見の逸話によると“火鉢の中の焼石を庭先に捨てたところ、降っていた雨に濡れて水が赤くなった”といわれている。 これにヒントを得て、鉱石を焼いて水洗いすれば赤い色素になることがわかった。時の吹屋代官、早川八郎左衛門正紀はベンガラの商品価値を見抜き、 吹屋で独占的に製造することを奨励した。

  
ふるさと村を走るボンネットバスラ・フォーレ吹屋旧吹屋小学校校舎





吹屋ふるさと村案内図





名 称広兼邸
標 高530m
場 所高梁市成羽町中野2710
見 学2018.12.02



     
広兼邸広兼邸広兼邸
座敷台所番頭部屋・下男部屋


広兼邸


Comment:  広兼家は大野呂の庄屋で、2代の元治が享和、文化の頃(1800年前後)小泉銅山とローハ(緑礬;ベンガラの原料で硫酸鉄)製造を営み巨大な富を築いた。 邸宅は、2階建ての母屋、土蔵3棟、楼門、長屋があり、石垣は文化7年(1810)の建築で庭園には水琴窟が設けられている。
邸宅の規模や構造とも雄大で、下からの眺めは古い城郭を思わせる構えと雰囲気がある。 離れは大正の建築でお茶室、座敷があり化粧部屋、客間、風呂等を備えている。 邸宅の向かいには明治初期、天広神社が建てられ、広兼家個人の神社として祭られていた。社務所もあり、境内には花木が植えられ、池、築山がつくられ、 形の変わった石燈籠数基がおかれ、狛犬もあり、全体的には庭園風となっており衆楽園と呼んでいた。
横溝正史原作の『八つ墓村』の映画ロケーションが1977年と1996年の2度にわたりおこなわれ、主人公の金田一耕助が活躍した。


いとこ会 記念写真





広兼邸の間取図





名 称旧片山家住宅
標 高550m
場 所高梁市成羽町吹屋367
見 学2018.12.02



     
ベンガラ蔵ベンガラ箱玄米蔵
座敷台所仕事場


旧片山家住宅


Comment: 片山家は、1795年から200余年弁柄製造・販売に携わり弁柄株仲間を組織し企業の統制をとって市場を拡大して吹屋弁柄の地位を高めた豪商である。 江戸時代には庄屋を務めた。
住宅は吹屋中町に面して主屋と宝蔵が並んで建ち、主屋の後方に米蔵・米蔵・弁柄蔵・仕事場などがある。主屋は切妻造の平入、正面外壁を海鼠壁となっており、 開口部に出格子を設けている。主屋の主体部は18世紀末期に建てられており、1830年まで増築を重ねて現在の屋敷ができあがっている。
この片山家住宅は、主屋及び附属建物による屋敷構成を良く残っており、江戸時代後期の商家として高い価値がある。また、弁柄の製造・販売により繁栄した 吹屋ベンガラ街の中核をなすことから、“近世弁柄商家の典型”と高く評価され、2006年12月に国の重要文化財に指定された。






名 称郷土館
標 高550m
場 所高梁市成羽町吹屋699
見 学2019.06.11



     
郷土館2階への階段座敷(飾り金具がある)
隠し階段台所明りとりの坪庭


Comment: 弁柄窯元の片山浅治郎家の総支配人片山嘉吉が分家された時に建築した。1874年頃より企画、石川大工、島田綱吉の手により1879年3月に完成した。 建築当初の建物の様子が最も良く保存されているので当主の片山恵資氏に頼んで郷土館とした。
間口5間、奥行16間、当時の中級の商家の通例により、店の表から裏までの通り庭で、主家の奥に味噌倉、土蔵を配して、主家の採光のため中庭を とっている。 土台と外側の柱は、すべて栗の角材を使い縁敷居は桜の巨材を使っている。この家の特徴は、木組みは巨材を使い、細部にわたり巧緻に出来上がっている。 座敷の書院まわりは生漆と弁柄で塗り上げ、それぞれに飾り金具を用いており、大変すばらしいもので一見の価値がある。






名 称笹畝坑道
標 高512m
場 所高梁市成羽町中野1987
見 学2019.06.11



     
笹畝坑道の入口笹畝坑道の説明板坑道
坑道坑道女性も働いていた


坑道からの出口


Comment: 吉岡(吹屋)銅山は807年に発見されたといわれ、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代の尼子氏と毛利氏の争奪戦以来、その後の徳川幕府直轄の天領 となっていた。
江戸時代の採掘は手掘りであり、坑内の排水が困難であったが、水抜坑道を掘り機能した時期は繁栄をきわめた。明治以降、三菱金属鰍フ経営となり、 付近の鉱山を吸収合併し、自家発電所を作り削岩機を使い精錬等の作業を機械化た。また、日本で初めての様式溶鉱炉を造った。 この鉱山は笹畝といい、支山であったが、後に地下で本坑道(坂本)と繋がっている。笹畝坑道では黄銅鉱、硫化鉄鉱が産出した。






名 称ベンガラ館
標 高514m
場 所高梁市成羽町吹屋86
見 学2019.06.11



     
弁柄の由来ベンガラ館入口釜場室
焙烙ほーろく(素焼きの平たい土鍋)水洗碾臼ひきうす水車(碾臼の動力)


ベンガラ館の庭に咲く《松葉菊》


弁柄の製法:
@ 緑礬ローハを乾燥して焙烙に少量ずつ盛り、それを約200枚土窯の中に積み重ね松の薪で700℃で1〜2日焼くと赤褐色の焼キができる。
A 焼キを水洗碾臼室に運び、水を加えて粗いものと細かいものに分ける。粗いものは細かくするため石臼で碾く。
B 脱酸水槽室に送り、きれいな水を入れて酸を抜く。10回から100回ぐらい繰り返し処理する。
C 酸の抜けたものを干板に薄くのばして、天日乾燥する。できた製品が弁柄となる。
      ☆弁柄; 酸化第2鉄(Fe2O3)を主成分とする赤色無機顔料。銅山の捨石である磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)から偶然発見された。
      ☆緑礬; 緑礬工場で加工された緑色の結晶体。緑礬の原料は磁硫鉄鉱。






【参考資料】
  • 高梁市成羽町観光協会 『吹屋ふるさと村 広兼邸』 吹屋支部    2018
  • 高梁市観光協会 『吹屋ふるさと村イラストマップ』            2018
  • 高梁市     『吹屋ふるさと村』 高梁市産業観光課          2018
  • ラ・フォーレ吹屋 『ベンガラの町』 和味の宿ラ・フォーレ吹屋     2018
  • 岡山観光WEB    『吹屋ふるさと村』 吹屋支部             2018
                  


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