Last Update: December 31, 2016Since: January 02, 2013
四国八十八ヶ所霊場の88番札所大窪寺奥の院といわれている。大窪寺本堂から大師堂へ行く途中の右側にある 山王権現社への階段を登り、右側の急な山道をどんどん登る。約 30min で奥の院に到達する。山道は女体山への登山道(遍路道) になっており、途中にある奥の院への道標を見落さないように注意する。この場所は、唐から帰国した空海は、岩窟 (現在の胎蔵峯寺)で虚空蔵求聞持法を修め、小屋を建てて、自分で薬師如来を刻んだ。この仏像はその後大窪寺の本尊となって おり、現在の胎蔵峯寺には阿弥陀如来が本尊として祀ってある。周辺の岩壁に彫刻されている梵字は、空海の時代より新しい 江戸時代のものといわれている。
大窪寺奥の院 Track-Log by GPS [etrex VISTA HCx] |
急峻な尾根道を約 750m 登ると、胎蔵峯寺に到達する。ここは、さぬき市指定史跡の"大窪寺奥の院信仰遺跡"と なっている。
奥の院は、急勾配の斜面に幅約 5m 、長さ約 20m の台地を造成構築している。岩壁の窪みの延長上にコンクリートブロックを接ぎ、 全体を覆屋のような小屋架けをしたところが胎蔵峯寺(奥の院)である。小屋架けの奥は花崗岩の岩窟になっており、 本尊の阿弥陀如来(砂岩)が祀ってある。また、台地周辺には観音菩薩や不動明王が単体で安置され、そこに季節の新鮮な献花があり、 今でも信奉者があると思われる。小屋の裏手には、加持水と称する「金水」「銀水」の水場がある。空海が錫杖で掘ったと伝えられている。 胎蔵峯寺の西へ約 15m 行くと、造成台地が途切れ、一段下がり絶壁沿いに細いけものみちのような踏跡がある。この絶壁の上のほうに 胎蔵界大日如来や金剛界大日如来などの梵字が彫刻されているが、現在は、風化で殆ど見えない。 この周辺は、板状岩壁が割れて隙間ができており、この隙間を「せり割禅定」と称して通過する行場であった。 (梵字や行場跡は崩落が激しく、通行禁止になっている)
奥の院への登り口(行程8丁と表示) | 山王権現社の横を通る |
きつい登り | 展望休憩所からの眺め | |
松脂を採取した痕で、洗濯板のような紋様になっている | 遍路道の標識 |
奥の院への道標 | 胎蔵峯寺 | |
阿弥陀如来坐像(金剛峯寺宗紋が吊るしてある) | 金水 |
岩壁直下の踏跡 | せり割禅定 | |
女体山頂上 | 女躰宮 |
【参考文献・データ】
(1) さぬき市文化財保護協会 さぬき市の文化財 (2012)
(2) 長尾町文化財保護協会 大窪寺奥ノ院と女体山を訪ねて 20 (1986)