静御前の遺跡巡りロゴ


Last Update: January 06, 2018
Since: October   10, 2009

香川県さぬき市には、その後(鎌倉・鶴岡八幡宮で白拍子の舞以降)の静御前に関する遺跡が数多くある。
さぬき市文化財保護協会長尾支部では、これらの遺跡を顕彰して多くの人に知っていただき、 歴史を肌で感じることができるように、長尾寺(四国遍路87番札所)から出発して長尾寺へ帰ってくる"静御前の遺跡と古墳の探訪コース"を 設定しました。全行程 7km で、ゆっくり周って約2時間30分です。

静御前遺跡の地図・航空写真


長尾寺の本堂

長尾寺


静御前遺跡の背景

香川県さぬき市長尾地区は、静御前の活動した鎌倉時代に東讃岐の中心地であり行政・産業・商業などが躍動しており、 賑わっていた。
鎌倉で男児を失って傷心のうちに京へ帰ったが、手のひらを返したような世間の目から遁れるため母の故郷である 東讃岐(小磯)へ渡った。この故郷も安住の地ではなく、それならと恋しい義経が活躍した屋島合戦跡を弔うため、 小磯から屋島への通り道である長尾の街へ来た。


静御前の遺跡巡り

長尾寺 @

四国遍路87番札所、静御前と母の磯野禅師が宥意阿闍梨の諭しで得度した寺。護摩堂前に剃髪塚、本堂に位牌が安置されている。


鼓渕 A

吉野山で義経から形見にもらった"初音の鼓"を、未練を断ち切るためにこの渕に捨てた。夜になるとこの鼓が鳴ったといわれている。
昭和の初期までは清水が湧き出て、子供達が水遊びをしていた。

磯野禅師の墓 B

長尾寺でお参りを済ませ住居である薬師庵へ帰る途中、老衰と寒さのため井戸川橋近くでこの世を去った。






薬師庵 C

静薬師庵と呼ばれている。長尾寺で得度した静御前(宥心尼)と磯野禅師(磯禅尼)は、この庵で念仏三昧の日々を過ごした。後に侍女琴路も一緒に住む。
静はこの庵で24才の生涯を閉じた。その7日後に琴路も鍛冶池に入水して果てた。
  



石鎚神社古墳 D

5世紀後半の竪穴式円墳。盗掘された跡があるが、未調査のため詳細は不明。








川上古墳 E

5世紀後半に造られた竪穴式古墳で、甲冑・須恵器・ 鉄器類などが出土した。 この古墳が近現代の墓地の下にあったため盗掘から逃れられたらしい。古墳の構造からみて渡来人となんらかの関係が考えられる。






上辛立遺跡 F

鴨部川によって形成された扇状地にある弥生時代の遺跡。主な遺構は竪穴式石室、箱式石棺墓や土器棺墓などの埋葬施設で、群集墳と考えられる。
現在、辛立からたち文化センターの中庭に発掘された石を使った埋葬施設が復元され、土器類はショウウインドウに展示されている。







[参照ページ]
         ・ 静御前の伝承と遺跡
         ・ 静御前ゆかりの地
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