Last Update: March 02,  2019
Since: July   25,  2017

   城山には中世に長尾本高の居城であった西長尾城跡がある。この城は後に長宗我部元親が讃岐侵攻の拠点とした。 西長尾城は、白峰合戦での軍功があった三豊市詫間郷筥御崎領主の海崎伊豆守が長尾大隈守元高と名乗り、1368年に城主となり、中讃の拠点として 活躍した城である。以来、代々の長尾一族によってこの地で勢力を拡充しており、炭所、岡田、栗隈などに支城を構え、阿野、鵜足、那珂郡の南部で 勢力を誇った。古来より讃岐国と阿波国を結ぶ主要な道の一つである現在の国道438号線の東側にあり、丸亀市と仲多度郡まんのう町の境をなす 375.1mの城山に築かれた城砦である。
天正6年(1578)から長宗我部元親による讃岐侵攻があり、先に長宗我部と姻戚関係を結んでいた天霧城主の香川の説得で長宗我部に降った。 それ以来、長宗我部の家臣である国吉甚左衛門が城主となった。この際に城域の拡大・整備を図っており、国吉城とも呼ばれていたが、天正13年(1585)の 羽柴秀吉の四国征伐で長宗我部は惨敗して、以後この城は廃城となった。





名 称城山(しろやま)
標 高375.1m
場 所丸亀市綾歌町岡田上
登 山2017.07.21






コースタイム
[登山口〜城山]   綾歌総合運動公園P →00:20→ 説明板 →00:05→ 曲輪 →00:05→ 城山頂上
[城山〜登山口]    城山頂上 →00:05→ 説明版 →00:15→ 綾歌総合運動公園P


        
登山口語らいの広場舗装された登山道登山道から見えるレオマワールド
西長尾城跡説明板郭(曲輪)櫓・土塁への分岐井戸
連郭式郭列北尾根曲輪城山頂上4等三角点



西長尾城跡の概略図






 
西長尾城主郭(城山)


 西長尾城跡に残っている長宗我部特有の山城防御ラインである連郭式郭列や二重堀切などを期待していたが、夏草が繁茂して判りにくかった。 城跡(主郭)はかなりの面積を取った広場で、周辺の下界を見渡すのに都合の良い位置になっている。
当時の戦国大名が見晴らし台として、最後の防御線として苦心した跡がみられる。しかし、織田信長・羽柴秀吉の圧倒的な戦力には長宗我部は全く歯が 立たず落城した。
西長尾城跡(城山)への登山路は、綾歌総合運動公園と多目的研修棟の2か所がメインと考えられるが、運動公園側かららは西長尾城跡説明板付近まで コンクリートの舗装道が整備されているが、なぜか通行止めになっている。開放して楽に城山へ登れるようにできないだろうか。途中に何か所かの離合 場所を設置したら楽しい森林公園になると思う。






名所旧跡案内 Miyoshi's HP