Last Update: May 21, 2018Since: May 16, 2018
所在地 | さぬき市志度1102 |
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山 号 | 補陀洛山 清浄光院 志度寺 |
宗 派 | 真言宗 善通寺派 |
本 尊 | 十一面観音菩薩 |
文化財 | 重要文化財… 木造十一面観音両脇士立像・絹本著色十一面観音像・志度寺縁起絵図・本堂・仁王門 |
縁起によると、625年の創建といわれており、志度浦にたどり着いた霊木を凡薗子尼が草庵へ持ち帰り安置し、その霊木から 本尊の十一面観音菩薩を造立し、堂宇が建立されたといわれている。 681年に、藤原不比等が堂宇を増築し、死度道場と名づけたという。不比等に関わる“海女の玉取り”伝説は謡曲などでも知られる。 693年には不比等の子・藤原房前が行基とともに堂宇を建立し、寺名を志度寺に改めたと伝えられている。
室町時代には四国管領の細川氏が代々寄進を行い繁栄するが、そののち戦乱により寺院は荒廃すが、讃岐藩主初代の生駒親正は、祖先が藤原房前ということもあって 志度寺にたいして援助した。 生駒氏からかなりの後の1671年に高松藩主(石高は生駒氏よりかなり少ない)になった松平頼重の寄進で本堂・仁王門などが再興された。 1962年(昭和37年)に重森三玲による枯山水の無染庭が造られているが、現在は荒れ山水になっている。
志度寺には数多くの国の重要文化財があるが、なかでも“絹本著色志度寺縁起”は、“紙本墨書志度寺縁起”の各文に対して描かれた縁起絵である。この縁起絵は 6幅に描かれた緻密な画像で描かれた絵画で、志度寺縁起文を絵解きしたもの。絵図は物語り全体を一大鳥瞰図として描き、 縁起文に沿って配列している。この縁起絵は鎌倉時代末期から南北朝時代初期に制作されたと考えられる。
Shidoji temple is a Shikoku hallowed ground 86th bill place. The precincts are not maintained, but there are a lot of important cultural properties of the country. According to the source, ordinary Ooshisonoko-ni (凡薗子尼) brings the sacred tree which arrived at Shidoura(志度浦)to the thatched hut and is said to be it when I made the Jyuichimen-Kannonbosatsu Bodhisattva of the principal idol from the sacred tree.
In 681, Fuhito Fujiwara enlarged a temple and named the Shidodojyo(death degree dojyo studio. In 693, a child, Fusazaki Fujiwara built a temple with rows and changed the name of the temple to Shidoji temple.
During the Muromachi period, Chikamasa Ikoma helped Shidoji temple since the ancestor was Fujiwara Bunsho. In 1671, Hondo ・ Nioomon etc. was rebuilt due to the donation of Yorishige Matsudaira of Takamatsu lordship.
志度寺仁王門と五重塔 (2018.05.16) |
志度寺の航空写真/地図 |
木造十一面観音両脇士立像 (平安時代の作) | 絹本著色十一面観音像
(鎌倉時代の作) | 志度寺縁起絵図 (鎌倉時代末期の作) |
・木造十一面観音両脇士立像; 十一面観音立像は桧の一木造で、像高146.0 p 、頭上に11面の仏面がある。12世紀の地方仏師の制作。
両脇士立像は、向かって右が不動明王、左が毘沙門天で共に桧材一木造。
・絹本著色十一面観音像; 縦202.5 p、横85.8 p の画面に描かれている。精密な技法で写実的に描かれており、13世紀に宋画を意識して
描かれている。
・志度寺縁起絵図; 讃州志度道場縁起(海女の玉取縁起)は1巻の縁起文を2幅の絵図で絵解きしている。
本堂 (江戸時代) | 仁王門 (1670年の建立) |
木造如来形坐像(五重塔内に安置) 平安時代中期の作。 | 木造金剛力士立像吽形像(仁王門内に安置) 鎌倉時代初期の運慶作。桧材の寄木造り。 | 木造金剛力士立像阿形像(仁王門内に安置) 鎌倉時代初期の運慶作。桧材の寄木造り。 |
・木造如来形坐像; 欅材の一木造で胎蔵界大日如来といわれており、像高101p。頭部は菩薩形の髻を結い上げ、両手は腹前で法
界定印を結ぶ。古い様式から10世紀末期の制作とみられる。
・木造金剛力士立像吽形像; 吽形の密迹金剛は像高325p。写実的に豪快に表現されている。
・木造金剛力士立像阿形像; 阿形の那羅延金剛は像高304p。
えん魔堂(1671年建造) 屋根は宝形造瓦葺き。 | 奪衣婆堂(18世紀中頃の建築) 屋根は宝形造瓦葺き。 |
・えん魔堂; 高松藩主の松平頼重が寄進した。1671年に建立され、内部は向唐破風造の仏壇構を設け閻魔大王が安置されている。
・奪衣婆堂; えん魔堂と向かい合って建っている。建屋は簡素な3間堂で、内部には3間通しの仏壇があり、奪衣婆が座っている。
奪衣婆とは三途の川のほとりにいて、亡者の着物を奪い取る鬼婆のこと。
絹本著色十一面観音立像
14世紀中期の作。
国指定の絹本著色十一面観音像の図像が
似ておりこれを手本としたと思われる。生駒親正墓塔(境内北側の墓地内)
17世紀初頭の作。
弥谷山の角礫凝灰岩製で173p。海女の墓五輪塔群(境内北側の墓地西)
鎌倉時代の作。
凝灰岩製の石造群。
境内にある石碑
小豆島講の常接待(本堂の西側)
18世紀末の建立
刻字;《永代常摂待 施主 小豆嶋講》武田徳右衛門の丁石(仁王門近く)
享和元年(1801)建立
刻字;《是より長尾寺へ一里半》真念の道標(曲水式庭園内)
17世紀後半建立・南無大師遍照金剛
刻字;《右 遍ん路みち・左 徒たみち》
志度寺案内図
境内案内図 アクセス
琴電志度駅 0.5km JR志度駅 0.6km(補陀洛山志度寺文化財ガイドから)
【参考文献・データ】
- 香川県の歴史散歩編集委員会 『香川県の歴史散歩』 山川出版社 2013
- さぬき市文化財保護協会 『さぬき市の文化財』 美巧社 2012