山海関


Last Update: Feb 16, 2011



山海関は万里長城の最東端にある難攻不落の要塞です。 女真族、契丹族の侵攻を防ぐ目的で建造されて「天下第一関」といわれた。古くは臨楡関といったが、明が山海衛を置いてから 山海関と呼ばれるようになった。明末に守将の呉三桂が清の謀略により内通して、はじめて落城した。









天下第一の関
山海関東門 山海関:

明の洪武14年(1381)中山王徐達により修築された。秦皇島の東北10kmで、華北と東北の交通要所にある。山海関には東門、西門、南門、北門があり、各城門の上には城楼が築かれている。東門は最も壮観で"天下第一関"の額が掛けられている。
老龍頭
老龍頭:

万里長城の最東端で、渤海に深く落ち込んでいる。長城は、ここから西方へ延びて嘉峪関まで、約6000kmに達している。


   

※最近の調査で、玉門関より更に西へ ロプノールまで続いているようである
老龍頭の楼
孟姜女廟
孟姜女廟 孟姜女廟:

孟姜女は、秦代に夫が長城建設中に事故で死亡したことを悲しみ、自ら海に身を投げた。この故事にちなんで宋代以前に廟が建てられた。明代万歴年間には修復された。1993年には孟姜女苑が竣工した。


苑内には何故か"ミグ17戦闘機"が展示されている。

孟姜女について詳しくは“ここ”をクリックしてください。