Last Update: December  27,  2017
Since: February  21,  2017



大滝山は、美馬市脇町と高松市塩江町との県境にある標高946mの山稜。頂上近くに西照神社があり、少し下に大瀧寺(四国別格20霊場の20番札所)がある。 西照神社の社伝によれば、夜の食国おすくにを統治する月読尊つくよみのみことが、大和国方面の監視役として 田寸津姫命たきつめのみことを大滝山に遣わし、ここから瀬戸内海の監視をさせたとある。
空海がこの山に籠もって修行を行い、西照大権現を安置したことにより神仏混淆しんぶつこんこうの山岳道場となった。 以降、明治時代に至るまで西照権現と称していが、明治初年の神仏分離令により神社と寺院に分離され、1873年に西照神社と大瀧寺に別れた。
大滝山の付近一帯の森は、ブナの自然林、ケヤキ、ヤマザクラなどの多種の植物やオオムラサキなどの貴重な昆虫、メジロ、ヒヨドリ、ホオジロなどの 野鳥などが生息している。

大滝山の航空写真・地図


大瀧寺本堂 ⇒ 鐘撞堂 ⇒ 石段 ⇒ 狛犬 ⇒ 西照神社本殿 ⇒ 大滝山 ⇒

稲荷神社 ⇒ Viewpoint ⇒ 山道の降り ⇒ バス乗場 ⇒ 県道


(Marked by Garmin GPS)




夏子休憩所(夏子ダム)芝桜(広棚花の里)大瀧寺鐘撞堂
西照神社への石段西照神社稲荷神社大滝山頂上



大瀧寺
大滝山(946m)の山上にあって、別格20霊場のうち最も高い標高にある。隣接する西照神社とは、ともに神仏混淆(神仏習合)の山岳信仰「西照権現」と して存在していたが、明治初年の神仏分離令により大瀧寺と西照神社とに分離された。
神仏習合とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象をいう。 空海が書いた“三教指帰”の中に  「阿国大滝嶽にのぼぢ 土州室戸崎に勤念ごんねん す 谷響を惜しまず 明星来影す…」   とある阿国大滝嶽は大滝山のことだと、代々の大瀧寺住職が言っているが…??

 

・三教指帰・
797年、真魚24才のときの宗教的寓意小説に仮託した出家宣言書である。儒教・道教・仏教を代表する3人の人物を登場させ、これらを訪れる 兎角公とかくこうの放蕩児蛭牙しつが公子が最後に仮名乞児かめいこつじ(仏教)の下で、 亀毛先生きもうせんせい(儒教)や虚亡隠士きょぶいんし(道教)とともに説破され、仏道に入るという筋書の戯曲。 (仮名乞児は空海自身のことと設定している)


西照神社
平安時代前期に空海がこの山に籠もって修行を行い、西照大権現を安置したことにより神仏混淆の山岳道場となったと言われている。 以降、明治時代に至るまで西照権現と称した。江戸時代には徳島藩家老稲田氏の崇敬を受け社領として9石8斗を寄進され、また高松藩主の祈願所として 50石が営繕費として寄進された。
明治初期の神仏分離令により神社と寺院(大瀧寺)に分離された。明治6年(1873)西照神社と改称された。



・狛犬の伝説・
この神社には天保14年(1843)に奉納された狛犬がある。ある夏の夜、ここを通りかかった母子に狼に追われて神社の祠に逃げ込んだ。狼がこの母子に 襲いかかろうとしたところを、この狛犬が狼を撃退したという伝説が残っている。


大滝山山頂・大瀧寺旧本堂跡
西照神社のすぐ裏の小高い丘陵が標高946mの大滝山山頂である。目立つものは何もなくひっそりとしている。頂上の近くに大瀧寺旧本堂跡の石碑が建っている。


城ヶ丸・県界尾根
大滝山山頂から南西方向へ尾根道を600m進むと三角点のある城ヶ丸(943m)に至る。この尾根道は香川県と徳島県の県界尾根であり、ミニ88ヶ所霊場石碑が ならんでいる。城ヶ丸は山歩きの大滝山山頂としている。




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