虎御前山展望所から見上げる小谷山(大嶽城跡)は、
両翼に支尾根をもつ 495m の威圧的な山である。小谷城跡は、
小谷山から南西に延びる尾根稜線上に階段状の郭を築造してしていた。
この尾根の最高地(398m)に山王丸を築き、順次下方へ小丸・京極丸・中丸・御局屋敷・本丸・大広間・桜馬場・お茶屋・番所・
金吾丸・出丸などが尾根上に連なっている。本丸の上部尾根には大堀切跡があり、本丸の防御をかためている様子が窺える。
時代の趨勢を読めない浅井長政は織田信長との姻戚関係を裏切り、朝倉攻めの織田信長の背後を襲った。優位から一転、
突如挟撃された信長は危険な状況に陥ったが、虎口を逃れ九死に一生を得た。信長は報復戦のために軍備を整えると北近江へ出陣し、
姉川の合戦で快勝、長政を小谷城に孤立させた。
「長享年後畿内兵乱記」によると、小谷山の頂上495mの位置に1525年には大嶽城があったとされており、土塁なども残っている。
天正元年(1573)8月13日、織田信長との戦いで、朝倉義景の援軍が大嶽城を守備していたが、焼尾丸を守っていた
浅井長政の家臣浅尾対馬守が織田方に寝返り、織田勢を手引して攻めたので落城したとある。
大嶽城が落城すると、援軍がなくなり小谷城は上から攻撃されて瞬く間に落城した。