Last Update: December 27, 2016



庚申信仰は、道教の三尸さんし説に、日本の密教・神道・修験道などが複雑に習合してができあがった。 三尸説によると、人の体内には三尸虫がおり、大きさは約6pとされている。三尸虫はいつも人を監視しており、庚申の夜に人が寝ていると身体から抜け出して、 天に登り天帝にその人の悪口をいう。それによって寿命を縮められたり、死後に六道の地獄・餓鬼・畜生におとすとされている。この災いを逃れるために、 この夜は集落の人達が集まって本尊である青面金剛しょうめんこんごうを祀り、経を唱えたり飲食したりなどして翌朝の1番鶏が鳴く まで寝ずに語り明かす。
庚申塔は道祖神とも習合して、集落の境や田畑を見下ろす高台などに、五穀豊穣・無病息災・悪疫退散・子孫繁栄などを願って祀られたと考えられる。

多和の航空写真・地図


多和小学校 ⇒ 東谷の庚申塔 ⇒ 槙川の庚申塔 ⇒ 兼割の庚申塔
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(Marked by Garmin GPS)


@東谷の庚申塔A槙川の庚申塔B兼割の庚申塔C大窪寺の庚申塔
D中山の庚申塔E庚申塔の図解F亀鶴の庚申塔G細川家住宅


@東谷の庚申塔砂岩自然石を削って青面金剛を浮き彫りにしている。尊像は邪鬼を踏みつけて立ち、左手に法輪・弓・剣、 右手に戟・矢・ショケラ。3猿と日月も表示されている。道祖神、道標などの要素もある。
A槙川の庚申塔 槙川分校前の旧遍路道にある。ブロック作りの祠に灯籠と一緒に設置されている。 6臂の青面金剛は邪鬼を踏みつけて立ち、左手に法輪・弓・ショケラ、 右手に戟・矢・剣を持っている。3猿・2鶏・月日もあり、庚申塔のフル装備を備えて いる。火灯窓の区画ラインを含めて後背は男性器を表しており、子孫繁栄、 家内安全や道祖神の性格をもっている。
B兼割の庚申塔砂岩自然石に彫られた6臂の青面金剛は、左手に法輪・弓・ショケラ、右手に戟・矢・剣を 持って台座に立っている。3猿、2鶏、飛雲と月日がある。 周囲の田畑を見下ろす高台に設置してあり、五穀豊穣・一族守護・家内安全を願って祀られている。
C大窪寺の庚申塔2本の大杉の根元に置いてある。6臂の青面金剛は、左手に法輪・弓・?、右手に剣・矢・?を 持って邪鬼の上に立っている。3猿は最下段にある。魔除け、厄除けなどの対象と考えられる。花崗岩の浅彫り。
D中山の庚申塔宝篋印塔のような造りの宝珠受台破風はふ付笠塔形で、笠に卍の紋が浮彫りされている。 塔身の正面は1段加工の花扉があり、 輪郭内に青面金剛の種子字(ウン)があり、その下に [奉供養 青面金剛童子 諸願成就] と刻んでいる。 宝珠(凝灰岩)、笠(花崗岩)、塔身・基礎(砂岩)の石質が異なっており、昭和の時代に補修されたのだろうか。
E庚申塔の図解青面金剛は、インドから伝わってきた仏教偶像でなく、中国の道教思想を基に日本の民間信仰の中で 独自に発展した庚申信仰の主神像である。庚申講の本尊として知られており、三尸を押さえる神とされている。
F亀鶴の庚申塔彫が浅い6臂の青面金剛は左手に法輪・弓・ショケラ、右手に戟・矢・剣を持っている。 3猿、2鶏、日月もみえるが彫刻が浅い。諸願成就、供養の為だろうか。
G細川家住宅南に面する山間地の地形を巧みに利用して住居を建てている。かまど、母屋、納屋、木納屋、 下木小屋などを東西に並べ、一段下がったところに便所がある。水汲み場は谷川の水を引き込んでいる。母屋の間取りは、横一列に、上手が竹床の座敷、 次が土座、西側に広い土間を設けた3間取りの平面構成。土間には釜戸、臼などがあり、中央間の土座には"いろり"、上手竹床の"ざしき"には床の間、仏壇が ある。18世紀初期の間取りで、日常生活の文化が色濃く残っている。

*額峠の65丁石*

額峠は多和への入口の峠になっている。65丁石は、県道3号線の最高点にあり、大窪寺へ65丁(約7km)のところにある。石材は砂岩で、舟形光背に 地蔵菩薩が陽刻されている。紀銘は明和元(1764)年 、施主は当村 忠??となっており、光背の先端にあった六十五丁の六が欠落している。
※30丁石は砂岩、紀銘は宝暦14年(1764)、表記は為法界万霊


65丁石30丁石