Last Update: July 12, 2015
所在地鳥取県東伯郡三朝町三徳1010
山 号三徳山みとくさん
宗 派天台宗
本 尊釈迦如来 阿弥陀如来 大日如来
文化財投入堂・愛染堂(国宝) 文殊堂 地蔵堂 納経堂(重要文化財) 三徳山(史跡・名勝)


三徳山三佛寺は、嘉祥二年(849)、慈覚大師によって伽藍が建立され、 阿弥陀如来・釈迦如来・大日如来の三尊を安置したので三佛寺といわれるようになった といわれている。慈覚大師が来山した史実はなにもない。源頼朝、足利義満ともに同寺を尊崇しており、その昔は38寺49院を数えたというが、 兵火によりその多くを 焼失した。 三佛寺は、三徳山の標高 320m地点にある天台宗の古刹である。境内には宿坊として輪光院りんこういん正善院しょうぜんいん皆成院かいじょういんがある。本堂の裏の宿入しくいり 橋を渡ると、背後にそびえる輝石安山岩とその集塊岩の急な 北斜面を利用して、文殊堂、地蔵堂、納経堂、投入堂なげいれどうといった多くの国宝・重要文化財の建造物、鐘楼、観音堂、 元結掛堂もとゆいかけどう 、不動堂、観音堂、鐘楼堂、野際稲荷の県文化財が建っている。
奥の院の投入堂と三佛寺本堂の高度差は200mであり、平均登攀角度を30°とすると、危険な登山道を400m攀じ登ると(約40分)目的地に到着できる。
三佛寺の由緒は明確ではないが、寺伝によると、慶雲三年(706)役小角えんのおづの が三弁の蓮花を散らしたところ、その一弁がここに 落ちたので堂宇を建てて修験の行場にしたといわれている。 三徳山奥の院[投入堂](標高 520m)は役の行者が法力で投入れたとされているが、建立方法については、今もなお謎のままである。
平成13年(2001)、奈良文化財研究所が行った年輪年代測定によって、投入堂は平安時代後期(1086〜1184)に建てられ、 納経堂も投入堂と同時期に建立されたことがわかった。

三佛寺の航空写真


建造物(国宝)

投入堂
国宝・投入堂

11世紀後期の神社本殿形式で標高520mにある。左側に愛染堂が見える。


建造物(国指定重要文化財・県指定保護文化財)

不動堂(県保護文化財)
元結掛堂(県保護文化財)
観音堂(県保護文化財)
納経堂(重要文化財)
春日造・柿葺・鎌倉時代
鐘楼堂(県保護文化財)
地蔵堂(重要文化財)
入母屋造・桧皮葺・室町時代
文殊堂(重要文化財)
入母屋造・柿葺・桃山時代
宝物殿(重要文化財収納)三佛寺本堂(県保護文化財) 野際稲荷(県保護文化財)

投入堂への行者道にある建造物

愛染堂(国宝)投入堂の左隣(正面から見て)にある。
投入堂(国宝)平安後期の懸造、本尊は金剛蔵王大権現。断崖に優美な姿で建っている。役小角 えんのおづのが岩窟に投げ入れたといわれている。
不動堂(県文)江戸時代後期の建築。
元結掛堂(県文)江戸時代前期の建築。
観音堂(県文)江戸時代前期の建築。
納経堂(重文)平安時代後期の建築。鎮守神を祀った春日造の小社を流用した。
鐘楼堂(県文)鎌倉時代のもの。行者道の道しるべと考えられる。
地蔵堂(重文)室町時代後期。入母屋造、こけら葺。奥院への道筋の山中に建っている。
文殊堂(重文)室町時代後期。入母屋造、こけら葺。奥院への道筋の山中に建っている。2006年に地蔵堂とともに公開された。
野際稲荷(県文)江戸時代中期の建立。近くに役小角>の石像がある。

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仏像・建物等の文化財

蔵王権現 蔵王権現7体 阿弥陀如来
金剛蔵王大権現
投入堂の本尊・重要文化財
木造蔵王権現立像7体
重要文化財
阿弥陀如来
三仏寺本堂の本尊
役小角像 宿入橋 投入堂の説明板 皆成院
役小角石像宿入橋 投入堂の説明板皆成院

境内にある宿坊

輪光院
司馬遼太郎が絶賛した
三徳豆腐やとち餅の精進
料理がある
正善院
2012年に本堂・庫裏全焼
木造蔵王権現は行方不明
営業停止中
皆成院
中国49薬師霊場43番札所
観音菩薩、薬師如来、
文殊菩薩がある



【参考文献・データ】
  1. 米田範真 岩永実 佐々木謙 下村章雄 『三徳山』 1965
  2. 三朝温泉観光協会 『三徳山三佛寺』 2014
  3. 上野勝久 『三仏寺奥院(投入堂) 蔵王権現を祀った行者のための空間』 週刊朝日百科 国宝の美19  2009