美馬市の寺町

美馬市の寺町

Last Update: November 06, 2017
Since: October 27, 2017


美馬市は徳島県の西部に位置した豊かな自然と数多くの文化財が残る歴史情緒あふれる街です。市のほぼ中央を東西に西から吉野川が流れ、穴吹川などの川が 吉野川に流れ込んでいる。北側の讃岐山脈、南側の剣山地をはじめ、ほとんどが山地で、総面積の約8割が森林となっており、清らかな水と豊かな緑に囲まれた 自然の美しい地域でる。
この街には堂々たる山門、伽藍をもつ寺がいくつも建ち並び、静寂につつまれた寺町がある。遙か昔から人々が安全で平穏な生活を仏に祈ってきた悠久の 時間が流れるところである。寺町にあるのは由緒ある寺院で、古い歴史をもつ寺院の甍が、緑の山を背にして寺院を一層ひきたてて、しっとりとした古都の趣を 感じさせる。 この地域に集中している寺院は、浄土真宗の安楽寺、西教寺、林照寺と真言宗の願勝寺の4寺がある。少し離れた段の塚穴の近くには浄土真宗の常念寺がある。 また、願勝寺の本堂裏には、室町時代に造られたと伝えられている枯山水の庭園があり四国最古といわれている。

★願勝寺★(山門;国登録有形文化財)Tel. 0883-63-2118 美馬市美馬町願勝寺8
 平安時代、崇徳上皇に仕えた阿波の内侍が上皇の菩提を弔うため都に建てた願勝寺を、母の生国の阿波の維摩寺(奈良時代建立)に移し願勝寺とした。 その後、歴代守護や藩主の庇護を受け郡内を代表する寺院となった。山門(八脚門)は国登録有形文化財である。本堂の西側裏には天竜寺と同一手法の 滝組の県指定名勝である願勝寺庭園(室町時代の築造)があり、山門を入って右側の奥には徳島県内最古の美馬郷土博物館がある。

★安楽寺★(山門;国登録有形文化財) Tel. 0883-63-2015 美馬市美馬町宮西11
 鎌倉時代に天台宗の真如寺に東国から来た千葉彦太郎常重が入寺し、浄土真宗の安楽寺に改めたと伝えられている。歴代守護の庇護のもとに勢力を拡大、 最盛期には四国各地に80余の末寺をもっていた。国登録有形文化財の丹塗りの二重門(江戸時代中期)、本堂(昭和初期)、鐘楼(明治時代)、書院(大正時代)と 1996年に建造された能舞台がある。
古くから寺勢を拡張し、阿波・讃岐などの各地に寺院を創立し、四国における最も古い最有力の浄土真宗寺院として栄えてきた。

★西教寺★(本堂・薬医門・経蔵;国登録有形文化財) Tel. 0883-63-2067 美馬市美馬町宮西13
 江戸時代初期に安楽寺10代住職正宗の隠居寺として建立されたと伝えられている。安楽寺と同様の格式を持ち、阿波や讃岐に10ヵ寺の末寺をもっていた。 国登録有形文化財である本堂(江戸時代末)、薬医門(江戸時代末)、経蔵(昭和初期)がある。境内には石庭があり、古い姿を残す寺院建築と調和して趣のある 景観を創り出している。駐車場は広く、乗用車40台の収容スペースがある。

★林照寺★  Tel. 0883-63-2155 美馬市美馬町宮西17
 寺伝によると室町時代末期の1520年、安楽寺8代の住職願証の弟林証が開基したといわれている。資料によると1673年江戸中期に創建という説もある。 桃山様唐門(1964年建立)を入ると左側に銀杏の大木がある。秋には落葉した銀杏葉ジュータンができる。1985年再建の本堂は鉄筋コンクリート造りで なんとも風情がない。毎年11月上旬頃には菊花展を開催している。

★常念寺★  Tel. 0883-63-2125 美馬市美馬町宗重63
 元は快楽山蓮華院という天台宗寺院であったが、室町時代に浄土真宗に改宗し常念寺となり、安土桃山時代に安楽寺10代住職正宗の嫡男其宗が入寺し、 再興したと伝えられている。境内には山門、本堂、書院、庫裡などが建ち並び、江戸時代末に建てられた本堂は境内の木々と調和し趣のあるたたずまいを みせている。
山門前には“憩の苑”と呼ばれている庭園がある。庭園敷地の一部は駐車場になっている。寺院の境内に住職家族の自家用車と思われる車が何台も置いて 車庫替わりにしているのは、古い寺院建築と景観を異にしている。



美馬市寺町の航空写真・地図




寺町周辺マップ


美馬市の神社logo


美馬市の寺町周辺に国指定史跡「段の塚穴」がある。段の塚穴は約1400年前の古墳時代に築かれた太鼓塚古墳と棚塚古墳の総称で、この古墳の特徴は、 横穴式石室(玄室)の内部がドーム状の特異な構造に造られていることで、このような構造の古墳を“段の塚穴型”と呼んでいる。 美馬市にある吉野川の河岸段丘(河川に沿って分布する段丘面と段丘崖から成る階段状の地形)にある八幡神社には段の塚穴型古墳がある。 野村八幡神社と倭大国魂神社について簡単な説明をします。


■野村八幡神社■(県指定史跡)  美馬市脇町野村
 吉野川左岸の河岸段丘に野村八幡神社はある。県道12号(撫養街道)から続く石段を登ると本殿に着く。本殿がある場所は広々とした平地状になっている。 社伝によると1533年9月、洪水により土佐国幡多山に鎮座していた八幡宮が当地に流れ着き、栴檀の木に掛かっていた。脇城主の武田信顕が城内に祀り、 その後に現在地に遷地し、上野八幡宮と号したとなっている。祭神は譽田別命ほんだわけのみこと、配神が氣長足姫命 おきながたらしひめのみこと姫大神ひめおおみかみ伊射奈美命いざなみのみこと
本殿の東隣に徳島県指定史跡の野村八幡古墳がある。この古墳の墳丘は神社本殿の建造により一部分が破壊されている。

神社への参道野村八幡神社野村八幡古墳


■倭大国魂神社■(市指定史跡)  美馬市美馬町東宮ノ上3
 八幡神社の左にある109段の石段を登ると倭大国魂やまとおおくにたま神社の境内に着く。この神社の由緒と言われている一つに、 平安時代の延喜式神名帳の美馬郡条にある“倭大国玉神大国敷神社二座”に比定(他の類似の物と比較して)される古社で、主祭神は大国魂命 おおくにたまのみこと大己貴命おおなむちのみこととしている。
この神社は小笠原氏が崇敬した神社であった。『日本書紀』の第10代崇神天皇紀6年に“天照大神・倭大国魂、二神を天皇の大殿の内にお祀りした”とあるが、 延喜式で倭大国魂を冠する神社は他になく、倭大国魂との強い関係性が窺える。美馬町史による他の由緒は、社伝に式内社と伝えており、 1743年の阿波国神社改帳に登載されている
。 境内には、古墳時代後期(6世紀)の大国魂古墳群(3基)が築かれており、そのうちの1基が開口しており、全長4.6m 、高さ2.2m の横穴式石室が「大国魂古墳」と いわれている。

     
神社へ登る石段倭大国魂神社大国魂古墳



【参考文献・データ】
     
  • 美馬市教育委員会   『四国のまほろば 美馬市文化財マップ』  美馬市  2017  
  • 美馬市経済部商工観光課   『いにしえのおもむき 美馬の寺町』  美馬市  
  • 岡山真知子  『古墳時代の美馬町』  美馬町史                   1989  
  • 脇高郷土研究同好会   『野村八幡古墳測量調査報告』  徳島県立脇町高等学校研究紀要 8  1982
  • 美馬市観光協会 『寺町 HP』 http://www.mima-kankou.jp/modules/myalbum/viewcat.php?cid=3



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