Last Update: December  28,  2017
Since: November  21,  2017



町の一角にいくつもの寺が隣り合わせのように並んでおり、ミニ古都の面影があり、寺から寺へ静寂の凛とした空気を楽しみながら、歴史を楽しむ散策ができる。 少し足をのばせば、古墳や古代の寺院跡など悠久の時の足跡に近づける。この寺町には、真言宗の願勝寺をはじめ浄土真宗の安楽寺・西教寺・林照寺の4寺が 並んでおり、歴史と文化財の宝庫として整備されている。 願勝寺の本堂裏には、南北朝時代に造られたと伝えられる枯山水*1 の庭園があり四国最古といわれている。
寺町からほど遠くないところに「段の塚穴」という国指定史跡がある。段の塚穴は、吉野川北岸の河岸段丘先端に約 25 m 隔てて東西に並んでいる2基の古墳で、 東側の大きい古墳が太鼓塚古墳、西側の小さい古墳が棚塚古墳と呼んでいる。この古墳の玄室は、天井を斜めに持ち送って側壁を胴張りにし、玄室をドーム状に するという特異な構造をしている。棚塚古墳の奥壁には石棚が備わっている。この2つの古墳石室の形態を「段の塚穴型石室」という。

 

*1; 水を用いずに石や砂などで山水の風景を表現する庭園様式



美馬寺町の航空写真・地図


駐車場 ⇒ 太鼓塚古墳 ⇒ 棚塚古墳 ⇒ 駐車場
願勝寺 ⇒ 安楽寺 ⇒ 林照寺 ⇒ 西教寺

(Marked by Garmin GPS)




段の塚穴は、標高約 70 m の河岸段丘南端に築かれた太鼓塚古墳と棚塚古墳の東西2基の円墳のことをいう。どちらも古墳時代後期の古墳であり、 埋葬施設の横穴式石室がこの地方独特の構造(段の塚穴型石室)をしていることが大きな特徴である。
太鼓塚古墳は、径約 34 m、高さ約 10 m の円墳で、南の方向に開口しており、全長 3.1 m 、玄室長 4.6 m 、最大幅 3.8 m 、最大高 4.2 m で、 四国最大級の規模である。 棚塚古墳は、太鼓塚古墳よりひとまわり小さく、径約 20 m 、高さ約 7 m である。石室は南に開口し、全長 8.6 m 、玄室長 4.6 m 、最大幅 1.9 m 、 最大高 2.8 m 。奥壁に棚塚古墳の名称由来となった石棚がある。

〇太鼓塚古墳〇

入口・羨道 玄門 ドーム型天井

〇棚塚古墳〇

入口・羨道 棚のある奥壁 玄門




願勝寺 <真言宗・御室派>
奈良時代に忌部いんべ五十麿が祖父の菩提を弔うために、阿波上郡に維摩寺ゆいまじを建立した。 平安時代には藤原信西の娘(阿波内侍)が崇徳天皇に仕えて大変かわいがられていた。後白河天皇のときに、保元の乱が起り、崇徳上皇側が破れ崇徳上皇は 讃岐に流され、1164年に讃岐の地で亡くなった。阿波内侍は、これを聞いて悲嘆にくれ、仏門に入り比丘尼となり、館を改め寺とし、上皇の冥福を祈った。 その寺が京都の願勝寺であった。はばかるところがあって、内侍尼は了海上人に託して京の願勝寺を母の生国の阿波に移し、維摩寺を願勝寺と改めた。

・枯山水庭園・
本堂の裏側にあり、四国最古の庭園の一つに数えられている。南北朝時代(1336〜1392)の築造とされる四国最古の池泉式枯山水の庭園。昭和41年文部省は 調査費を交付し、大阪美術館の佐々木利三氏が調査した。「岩組み」は、京都天龍寺の庭の「岩組み」と同一手法で全国に散在する五つの滝の一つと判明した。

・美馬郷土博物館・
願勝寺の敷地内にあり、郷土古墳からの出土品等を総合的に展示している。特に、考古資料や仏教美術品を中心にアンモナイトの化石や古文書、古銭まで 多くの種類を観ることができる。


安楽寺 <浄土真宗・本願寺派>
もとは真如寺という天台宗の寺であったが、鎌倉時代の1259年、関東の豪族であった千葉彦太郎常重が入寺し、浄土真宗の安楽寺に改めた。阿波の守護職、 小笠原・細川・三好の各国主と姻戚関係を結び、庇護をうけて寺勢を拡張し、阿波・讃岐・淡路の各地に寺院を創立し、四国における最古、最有力の真宗寺院 として栄えた。藩政時代には藩主の庇護をうけ、江戸時代の末寺帳には阿波に21、讃岐に50、伊予に5、土佐に8の末寺があった。

・山門・
安楽寺を一般にアカモン寺と呼ぶほど、この山門は近郷近在の人々に親しまれ、寺の象徴になっている。朱塗りの重層門で徳島県の5大門*2 の 一つに数えられている。2009年より山門の改修工事が行われ、2010年3月、色鮮やかな赤門が実現した。

*2; 丈六寺の三門、熊谷寺の仁王門、高越寺の山門、箸蔵寺の大門、安楽寺の山門

・能舞台・
1996年4月 に落成した。能舞台は一般開放しているため、能狂言の上演以外にも伝統芸能や講習会など、また結婚式の前写しにも使われている。書院にあり、 簡単の見学できる。


林照寺 <浄土真宗・本願寺派>
室町時代末期の1520(永正17)年 安楽寺8代の住職願証の弟、林証が開基したといわれている。資料によると1673年の江戸中期に創建という説もある。 桃山様唐門(1964年建立)を入ると銀杏の大木があり、1985年(昭和60)再建の本堂(鉄筋コンクリート造り)に映えて、美しい景観を見せている。 毎年11月上旬頃には半世紀近い歴史を持つ菊花展が開催される。



西教寺 <浄土真宗・本願寺派>
江戸時代の初め、1609年(慶長14)に安楽寺の10代千葉正宗が三男の了宗を連れて隠居して建てた。俗に隠居寺とも呼ばれていた。藩政時代には、 藩主御目見え等の諸事は、安楽寺と同様の格式をもち、美馬市・三好市・美馬郡・三好郡や香川県内の10か寺の末寺をもっていた。
本堂は1858年(安政5)に建立され、県下では珍しい経蔵が昭和5年に建立された。後房・書院・門徒会館・庫裡などは1985年(昭和60)3月に改築された。




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