マニラの旅日記

Transportation : Philippine Airlines
Flight : (10/9)Xiamen 17:25 → Manila 19:40  (10/10) Manila 14:25→ Osaka 19:20  


アモイから帰国の途中、航空機フライトの都合でマニラで1泊 (transit) することになった。 半日の余裕しかないので見る場所を限定する必要があり、イントラムロスに目標を絞った。 INTRAMUROS 城内を意味するスペイン語である。1571年フィリピンを植民地化したスペイン人はパシグ川に面し、マニラ湾を望むこの地に外壁と7つの門を建造して、 外敵の侵入を防ぎ、自分たちの居住空間を護り、原住民との隔離を図った。 イントラムロスは道路には石畳が敷かれており、総督官邸をはじめ支配者の邸宅、教会、学校、病院、商店などのロマネスク風建築物が立ち並ぶ優雅な城壁都市を形成していた。 外壁の総延長は 4.5Km、面積は 64haで風景はあたかもヨーロッパの小都市の面影をみせていた。ここに住むことを許されたのはスペイン人とその混血(mestizo)だけだった。 イントラムロスの北端にはスペイン時代の軍事拠点である Fort Santiago(サンチャゴ要塞)がある。 アメリカ植民地時代は軍司令部、日本占領時代は憲兵隊本部が置かれ歴史の変遷に翻弄された。
San Agustin教会は 1587年に創建されたバロック様式の石造りであり、第二次世界大戦による破壊をも免れたスペイン統治時代のままの建物である。 Manila Cathedral (大聖堂)は 1581年創建であるがその後の震災や戦災により倒壊、破壊、被災、再建を繰り返し現存のものは1958年再建された。 内面に見事なステンドグラスがあり、大きなパイプオルガンもある。


2004年10月9日夜

19:40 定刻に Ninoy Aquino International Airport(マニラ国際空港)に到着した。 手荷物はすべて機内に持ち込んでおり、出口へ先陣争い? でもその前にマネーチエンジ。所定の銀行へ行ったが、時間が遅いせいか閉まっている。 通りかかったガードマンに聞いたら、「連れて行ってやる」と言って出口横のボックスへ(人一人が入っているポリスボックスのような箱)、1万円出して「今日の為替レートは?」「0.5 、今日はお得だよ」と言いながら伝票もなしで 500piso(ペソ)を 10枚差出す。 この地はつり銭を出さない風習?があるらしいので、小銭を持っていないと何かと困るので、500piso を 50piso x 10枚に替えてもらった。 さあ、準備OK、これでゲートを出られる。今夜の泊まりはアモイのインターネットカフェで探しておいた『Palm Plaza hotel』に… でもどうゆうわけかタクシー1台もいない。 (この情景、以前ロサンゼルスからホノルルへ着いたときとそっくり、国内線ターミナルに着いたためか車が1台もなかった) どこからともなく夜目にも麗しい女性が現れて英語で「タクシーありますよ」と A4 サイズのカタログらしきものを提示、マニラ市内まで 550piso とのこと。 「300piso にならないか」「決められた価格です」と譲らない。仕方ないから乗るというと、彼女にっこりと笑って携帯電話で何処かへコンタクト。 ほどなくホンダの新車が到着、運転手は手荷物を積み込む、その間彼女はタクシー料金の先払いを要求する。 500piso+100piso を渡したが、案の定彼女おつり 50piso を出さない。そのうちにタクシーは発車、見事なコンビネーションだった。 それでもタクシーは真面目に『Palm Plaza hotel』に着き、荷物を降ろしホテルまで運んでくれた。 『Palm Plaza hotel』のフロントお兄さんは難しい顔していたが、1泊 1,700piso(3,400yen) で決まり。 保証金として 2,000piso とられた。部屋は9Fのツインルームで窓から街のネオンがよく見える。


2004年10月10日

朝 6時に起床して、ホテル周辺を探検する。ジープニーが路地裏まで走り回り、朝帰りの女が眠そうに歩いている。 ホテルから西へ 100m でロハス大通り(Roxas Boulevard)に出る、その向こうにマニラ湾に面した遊歩道がある。10月だというのに泳いでいる子供や大人が沢山いる。 あらためて亜熱帯性気候の東南アジアを認識させられた。
ホテルの1Fにあるレストランで朝食、アメリカ式の Continental breakfast を注文、 200piso。

ロハス大通り沿いの海岸遊歩道 10月でも朝から泳いでいる

何処に行くにもマニラの地図がないと距離の見当がつかない、今朝のフロント嬢は笑顔がある「マニラ観光地図はありませんか?」 「ありますよ、これをどうぞ」と “Tourist Map of the Philippines”をくれた。ホテル前に止まっているタクシー運転手に、 まず運賃の交渉「Fort Santiago までいくら?」「100piso 」(フィリピンのタクシーはメータが付いているが信用できない、 先に値段を決めておくことが絶対条件)商談成立で乗車した。サンチャゴ要塞跡の入口まで運んでくれて入場券の売場も教えてくれた。 入場料は 40piso。この要塞跡にある建物、防壁などは第二次大戦の戦火に洗われたせいか破壊が激しく、 残ったものも住居や資料館として使用しているため、感動を受けるべきものがあまりにも少ない。 要塞の一番高い場所に立ってみるとパシグ川、マニラ湾と堀に囲まれた防御しやすい立地だと頷ける。 川面には亜熱帯特有の〈布袋葵〉が大量に流れている。16世紀のスペイン人も、今と同じように流れる〈布袋葵〉を眺めて、 イントラムロスをヨーロッパ風の街に創り上げてもなにか祖国とは違うと感傷に浸ったことだろう。

サンチャゴ要塞の入口兵舎跡

城門前の堀には赤い水蓮が一面に咲いており、現地の男二人が水蓮の隙間を作って釣りを楽しんでいた。 何が釣れるか見ていたら、武器を携帯したガードマンが来て同じように覗き込み「Are you a Japanese?」と言いながら、にこにこ。 こちらも顔を見てにこにこ。フィリピンで是非試したかったことを今やってみようとの考えが浮かび、彼の武器(ピストル)を指して「それは本物か?」と言ったら、 にこにこしながら手で押さえ「もちろん本物だ。見るか?」と実弾の入った腰の銃を取出して、そのまま渡してくれた。 ここまでは予期しなかったのでビックリ、でも折角だから見せてもらう。銃は 9mm 口径の〈LLAMA〉Automatic 装弾数7。 撃ちたかったが、そこまでは無理で丁寧に返して「これはいい銃だ!」と言うと、彼はにこにこ。 噂で聞いていたとおり簡単に銃を見せてくれた、なんだか得をしたような変な気持ちになった。

城壁跡スペイン統治時代の砲弾

要塞の主な通路には『靴の跡』が貼り付けてあり、これを辿って行くと自然に順路レールにのるようだ。 ボストンの『Freedom Trail』の赤いレンガを真似たのだろうか??

『靴の跡』道路指標"LLAMA" オートマチック

サンチャゴ要塞跡をあとにして南下すると前方に大きな教会が見えてきた、方角からマニラ大聖堂。 汗を拭き拭き歩いていたら、観光用馬車の小父さんが来て「馬車に乗ってくれ。イントラムロスの有名箇所を全部回って 20piso 」という。 「行先が目の前に見えている。乗る気はない!」この小父さん裸足で、馬もずい分草臥れている。 こんなことではへこたれない、今度は泣落とし戦法で「子供4人抱えて生活苦しい、なんとか乗ってくれ」「いらない!」と拒否して大聖堂へ一目散。 この日は日曜日(礼拝日)でミサの最中、礼拝堂の中へ入り礼拝中の人を横目に、立派なステンドグラスを眺めた。 15分程して出てきたら、かの馬車小父さん出口で待っている、裸足で近づいてくるやいなや腕をつかみ「日本人は金持ちだ、助けてくれ」、 面倒くさくなり根負けして 10piso を手渡した。やれやれ開放されたと思ったとたん、6〜7才の子供が手を出してタガログ語で何やら。 1piso 渡したら何やら言いながら何処かへ。どうも馬車小父さんにお金を出したのを見ていたらしい。

マニラ大聖堂サンアグスチン教会 サンアグスチン博物館

マニラ大聖堂から更に南下するとサン・アグスチン教会があった。 この教会は16世紀末にスペインがこの地にイントラムロスを構築した当時のままの姿を残す唯一の建築物で、バロック様式の石造り教会。 向かって右隣には宗教美術品を展示した《San Agustin Museum》がある。周辺はスペイン統治時代の面影が多く、なかでも石畳の道路は時代を感じさせる。

石畳の道裏から見た大聖堂

パームプラザホテルを 11:45 にチェックアウト、ホテル前で客待ちタクシーと運賃の交渉「マニラ国際空港までいくらで行く?」 「300piso」昨夜の値段と比べると安い「OK、行ってくれ」。この運転手、車から降りて荷物を車に積んでくれ隣の助手席に座れという。 日本の運転手よりはるかに親切だ。空港までの途中、ピジン・イングリッシュ(Pidgin English)で、いろいろ話をするがなかなか理解しにくい。 また、財布からなにやら出して「日本人なら、これをやる」と畳んだ紙幣1枚をくれた。開いてみれば、今まで見た事のない大日本帝国政府発行の〈100Pesos〉紙幣、フィリピン占領当時の紙幣だろうか。 ありがたく頂いておくことにした(下の画像)。

大日本帝国政府発行の 100ペソニノイ・アキノ国際空港(ターミナルが3つある)

45才の運転手君だんだん調子が乗ってきたのか、自分の奥さんの写真を出して見せる「若くて奇麗だ」と言うと、 「女房は24才で、一人しかいない」。 馬鹿話をしているうちに空港セキュリティチェック・ゲートに着いた。 タクシーのトランクまで開けて調べるためゲートで大渋滞を起こしている。お喋りの運転手君、渋滞中に「搭乗する航空会社は日本航空か?」と言うので「いいやフィリピン航空だ」 「それは大変、ターミナルが違う」「国際ターミナルから出発するはずだが?」「フィリピン航空だけは "Terminal 2" からの出発だ」 「知らなかった。今から行けるか?」「一旦、外の道路に出るが時間には間に合うだろう」。15分後にはフィリピン航空専用の"Terminal 2" に着いた。 約束どうり料金 300piso を払うと、運転手君は正当なスペイン語で「Gracias, a Dios!」と手を振る。 搭乗時間にも間に合いよかったよかった。どうもこの空港はフィリピン航空を特別扱いしているようだ。

MEMO :マニラ国際空港には3つのターミナルがある。Terminal 1 が国際線、Terminal 2 がフィリピン航空専用(国際線、国内線)、Terminal 3 が国内線で各ターミナルは空港内で繋がっていない。 一旦、ターミナルの外のへ出て一般道を経由して行く方法しかない。-上の地図参照-〕