Last Update: January  30,  2018
Since: Janyary   20,  2018

    島崎藤村の「夜明け前」序の章
…木曾路はすべて山の中である。あるところはそばづたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、 あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。東ざかいの桜沢から、西の十曲峠じっきょくとうげ まで、木曾十一宿はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷の間に散在していた。道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い 山間やまあいに埋うずもれた。名高いかけはしも、蔦のかずらを頼みにしたような危ない場処ではなくなって、 徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へとくだって来た。 道の狭いところには、木をって並べ、藤づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。長い間にこの木曾路に起こって来た変化は、 いくらかずつでも嶮岨けんそな山坂の多いところを歩きよくした。そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫が旅行を困難にする。 そのたびに旅人は最寄り最寄りの宿場に逗留して、道路の開通を待つこともめずらしくない。
この街道の変遷は幾世紀にわたる封建時代の発達をも、その制度組織の用心深さをも語っていた。鉄砲を改め女を改めるほど旅行者の取り締まりを厳重にした時代に、 これほどよい要害の地勢もないからである。この谿谷の最も深いところには木曾福島の関所も隠れていた。
東山道とうさんどうとも言い、木曾街道六十九つぎとも言った駅路の一部がここだ。この道は東は板橋を経て 江戸に続き、西は大津を経て京都にまで続いて行っている。東海道方面を回らないほどの旅人は、いやでも応でもこの道を踏まねばならぬ。 一里ごとに塚を築き、榎を植えて、里程を知るたよりとした昔は、旅人はいずれも道中記をふところにして、宿場から宿場へとかかりながら、この街道筋を往来した。 馬籠まごめは木曾十一宿の一つで、この長い谿谷の尽きたところにある。西よりする木曾路の最初の入り口にあたる。そこは美濃境にも近い。 美濃方面から十曲峠に添うて、曲がりくねった山坂をよじ登って来るものは、高い峠の上の位置にこの宿を見つける。街道の両側には一段ずつ石垣を築いて その上に民家を建てたようなところで、風雪をしのぐための石を載せた板屋根がその左右に並んでいる。宿場らしい高札こうさつの立つ ところを中心に、本陣、問屋、年寄、伝馬役、定歩行役じょうほこうやく水役みずやく七里役しちりやく(飛脚)などより成る百軒ばかりの家々が主な部分で、まだそのほかに宿内の控えとなっている小名こな の家数を加えると六十軒ばかりの民家を数える。荒町あらまち、みつや、横手、中のかや、岩田、峠などの部落がそれだ。 そこの宿はずれでは狸の膏薬を売る。名物栗こわめしの看板を軒に掛けて、往来の客を待つ御休処もある。山の中とは言いながら、広い空は恵那山のふもとの方に ひらけて、美濃の平野を望むことのできるような位置にもある。なんとなく西の空気も通って来るようなところだ。…

――上記の文章が、馬籠の場景を如実にあらわしている。しかし、現在の馬籠宿は新しい石畳みの道路を造り、道の両側には土産物屋が軒を連ねている。嘗て(60年前)、 中央本線の落合川駅から中山道を辿り馬籠宿・馬籠峠・妻籠宿を経て南木曽駅まで歩いたときは、藤村の描写が身に迫ってきたが、観光地化した今はなにも感じとる ことができない。時代が変わったとしか言いようがないのだろうか。――



馬籠宿のルート図/航空写真
Track-Log by Garmin [etrex VISTA HCx]





名 称馬籠の宿
標 高600m
場 所中津川市馬籠
見 学2018.01.21



馬籠宿マップ


コースタイム
[じんばバス停〜馬籠館 0.6km]    但馬屋 →00:08→ 藤村記念館 →00:05→ 水車小屋 →00:03→ 馬籠館


     
旅人御宿 但馬屋馬籠脇本陣史料館馬籠宿本陣跡 ・藤村記念館
水車小屋 (馬籠ミニ発電所)枡形馬籠館


Comment:  馬籠まごめ宿は、中山道なかせんどう43番目の宿場で、木曽山中にある宿場町。以前は長野県木曽郡山口村にあったが、2005年に山口村が岐阜県中津川市と合併したので、 現在の馬籠宿所在地は中津川市となる。
馬籠宿(標高 600m)は石畳の敷かれた坂に沿う宿場で、街道の中ほどに本陣跡、脇本陣跡があり、本陣跡は文豪島崎藤村の生家であり、現在は藤村記念館となっている。 石畳の両側には、土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札を掛けるなどして史蹟の保全に努めている。 馬籠宿から中山道を北東方向に 2.2km 登ると馬籠峠(標高 801m)に着く。ここには一石栃白木改いちこくとちしらきあらため番所跡が ある。馬籠峠から 5.3km 降り道を行くと妻籠つまご宿(標高 430m)に着く。
妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)には、妻籠宿の家並、本陣跡、脇本陣跡、桝形跡、口留番所くちどめばんしょ跡、妻籠城跡などの史跡が 残っている。

 
水車小屋横のミニ発電所馬籠宿水力発電1号機 (110V-100W)






名 称妻籠の宿
標 高430m
場 所長野県南木曽町
見 学2018.01.27

妻籠宿マップ


コースタイム
[馬籠宿〜妻籠宿 7.5km]    馬籠宿 →00:30→ 馬籠峠 →00:25→ 男滝女滝 →00:36→ 妻籠宿


     
枡形の跡妻籠宿の家並妻籠宿の家並
妻籠宿本陣脇本陣奥谷郷土館妻籠口留番所跡

Comment: 中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道ともいわれている。中山道69次あり、妻籠宿は江戸から数えて42番目にあたり、伊那街道と交差する交通の要衝と なっている(馬籠宿は43番目)。また、地域を挙げて景観保全活動に取り組んだので、1976年に国指定の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた。
現在、馬籠峠から妻籠宿への道はひっそりとした趣のある道となっているが、妻籠宿には枡形の町並みがあり古い建物が残され、常夜燈や水場も宿場の面影を 偲ばせている。復元された高札場もあり、江戸時代の民家(熊谷家)も残っている。

 
馬籠峠 (標高 801m)





男滝女滝 Male Waterfall & Female Waterfall

馬籠峠から降って妻籠宿へ向かう途中に男滝女滝おたきめたき(標高 600m)がある。この滝は、赤松川にあり上下2段になっており、 上段が男滝で、下段が女滝といわれている。男滝は滝の幅が広く男性的で、女滝は滝の幅が細く女性的である。
男滝は吉川英治の著書“宮本武蔵”の舞台となった場所であり、武蔵とお通の情念の恋の場となった。女滝には倉科くらしな様伝説が ある。滝壺に金鶏が舞い込み、そこから時を告げる鶏の声がしたといわれている。部落の人たちは、倉科様の霊の祟りだと信じ、租霊社に倉科様の霊を祀った。 これが現在も残っている倉科祖霊社である。



  
男滝(おだき)女滝(めだき)説明板




雪景色の妻籠宿 snowry landscape Tsumago-shuku

  




【参考資料】
  • 馬籠観光協会 『木曽馬籠』     http://www.kiso-magome.com/
  • 馬籠観光協会 『中山道馬籠宿案内略図』
  • 妻籠観光協会 『中山道妻籠宿』  http://tumago.jp/highlight/index.html
  • 妻籠観光協会 『妻籠宿案内図』
  • 島崎藤村    『夜明け前』第一部〔上〕  新潮社    1954  
                  


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