Last Update: August 17, 2020Since: February 12, 2019
【紀伊山地の霊場と参詣道】の名前で熊野三山は、2004年にユネスコの世界遺産に登録されている。熊野三山とは、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社・ 那智山青岸渡寺の3社1寺をいう。
熊野速玉大社が前世の罪を浄め、熊野那智大社が現世の縁を結び、熊野本宮大社が来世を救済するといわれ、熊野三山を巡れば過去・現在・未来の安寧が得られる と考えられている。
There are three sacred sites, namely the "Kumano Sanzan (Three Grand Shrines of Kumano)", in the Kii Mountain Range located roughly in the center of Japan, and different types of religion, such as Shinto based on nature worship, Buddhism introduct from China and developed in a unique way in Japan and Shugendo spread as a mixture of Shinto and Buddhism, have been fostered there.
In July 2004, the three sacred sites and the pilgrimage routes connecting them as well as their traditional cultures developed in harmony between nature and human beings over time were finally recognized by UNESCO as shared properties of all humankind and registered on its World Heritage List as "Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range".
熊野三山巡礼の道 |
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名 称 : 熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ) 標 高 : 88m 場 所 : 田辺市本宮町本宮1110 見 学 : 2019.02.13
本宮への石段 | 大注連縄の総門 | 夫須美大神 ・速玉大神を祀る社殿 | ||
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左から夫須美大神、家津美子大神、天照皇大神 | 麻耶紅梅 | 八咫烏の説明板 | ||
檜皮葺の熊野本宮大社社殿 |
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Comment: 熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社・那智山青岸渡寺)の中心であり、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮である。社殿は崇神天皇65年(BC 33年) に創建されたと『皇年代略記』や『神社縁起』に記されている。奈良時代より仏教を取り入れ、平安時代には仏化により「熊野権現」と称し、神々に仏名を配するように なった。熊野本宮大社は上・中・下社の3社から成っており、熊野十二所権現と呼ばれている。
平安時代、宇多法皇に始まる歴代法皇・上皇・女院の熊野詣では100度以上に及んだ。 1184年、第21代熊野別当に就任した田辺別当家の湛増は、源平の争乱に際し、 熊野水軍(湛増率いる)が源氏側についたことにより、勝敗が決したと云われている。 杉林に囲まれた158段の石段を登ると、総門の前にでる。総門を潜ると檜皮葺きの社殿が3棟が表れる。3棟の左社殿は夫須美大神・ 速玉大神、中央社殿は主神の家津美御子大神、右社殿は天照皇大神を祀っている。
嘗ては、社殿が大斎原といわれた中州にあったが、1889年の水害により上4社3棟を現在地に移築して再建した。
大斎原(熊野本宮井諸末社図絵) |
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仙人風呂 (2019.02.13) 早朝の湯浴み (2019.02.13) 温泉好きの外人女性 (2019.02.13) 大塔川沿いに70℃を超える湯が噴き出している。半露天風呂や自分で河原を掘って作る河原露天風呂も楽しめる。 12月〜2月には、冬の風物詩として川の中に大きなプールのような混浴露天風呂“仙人風呂”ができる。2018年の台風と土石流堆積で川幅が狭くなっており、 以前のような川幅を殆ど使った壮大な景観が望めない。
湯の峰温泉の源泉湯筒 “つぼ湯” の浴室 “つぼ湯” 岩風呂(熱湯が噴出する) 湯の峰温泉は熊野詣の旅の疲れをとる湯垢離場として長い歴史を持っている。素朴な宿が川に沿って並ぶ。 川には湯気が立ち上がっており、90℃ の湯筒が交差して宿へ向かっている。
川の中にある“つぼ湯”は世界遺産に登録されており、世界で唯一入浴可能な 30min 貸切の小さな岩風呂である。 泉質は、イオウーナトリウムー炭酸水素塩・塩化物。
“つぼ湯”に入浴すると、世界遺産 /つぼ湯 /入浴証明書が発行される。
名 称 : 熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ) 標 高 : 7m 場 所 : 新宮市新宮1 見 学 : 2019.02.12
神門 | 熊野速玉大社 本殿 | 武蔵坊弁慶の像(熊野神宝館) | ||
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梛の神木 | 世界遺産の碑 | 熊野速玉大社由来の説明板 | ||
熊野速玉大社社殿 |
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Comment: 主祭神は、家都美御子大神(素戔嗚尊)であり、昔は熊野坐神社(熊野にいる神) と呼ばれていた。また、造船術を伝えられたことから船玉大明神とも称せられ、古くから船頭・水主たちの篤い崇敬を受けていた。
熊野権現御垂迹縁起(1164年長寛勘文)などの諸書には、熊野の神々は、神代の頃まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨し、その後、景行天皇58年、現在の社地に新しい 宮を造営して遷り、「新宮」と号したと記されている。 初めは、二つの神殿に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神を祀り、平安時代の初めには現在のように12の神殿が完成した。 悠久の古より人々から畏れ崇められてきた神倉山には、初め社殿はなく(現在は神倉山の中腹に、神倉神社がある)、自然を畏怖し崇める自然信仰、原始信仰の中心で あったと思われる。また、ここから弥生時代中期の銅鐸の破片も発見されている。
熊野速玉大社 配置図 |
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神倉神社鳥居 天磐盾(あまのいわたて) 538段の急峻な石段 神倉神社は熊野速玉大社の摂社で、新宮市街地の西にそびえている権現山(神倉山)中腹の飛び地境内にある。権現山の主峰は千穂ヶ峰(253m)で、 神仏が鎮まり守護してくれる山である。権現山の南に、高さ約100mの断崖絶壁に神倉神社があり、天磐盾といわれている。ここには神が鎮座する 磐座がある。この磐座は、“ごとびき岩”とよばれている。
熊野の神々が最初に降臨したといわれている“ごとびき岩”は、石段を538段登ったところにある。538段の石段は、鎌倉時代に源頼朝が寄進したと伝えられ、 “ごとびき岩”は巨岩崇拝の信仰が原点にあると考えられる。
Mt. Gongenyama(Kamikurayama) rises to the west of Shingu City. It has been worshiped as a god mountain where God advents. The main peak is Chihogamine Ruins (253m), a mountain where the Shinto Buddha seduces and guards. Kamikura Shrine is located in the southern part of Mt. Gongenyama, about 100m in height, and it is said to be "Amanoiwatate". Here is "Iwakura" where God will settle. This "Iwakura" is called "Gotobiki Iwa". It was used as a spiritual area from the ancient times and as a place for the examiners.
名 称 : 熊野那智大社(くまのなちたいしゃ) 標 高 : 333m 場 所 : 那智勝浦町那智山1 見 学 : 2019.02.12
熊野那智大社 八咫烏の標柱 本殿 那智山熊野権現 烏石 大楠の胎内くぐり
三重塔と那智ノ滝
Comment: 神日本磐余彦命の東征を起源としている。BC 662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦 (現在の那智の浜)に上陸した。
一行は光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智ノ瀧を見つけ、その瀧を大己貴命の現れた神体として 祀った。神日本磐余彦命の一行は天照大神より使わされた八咫烏の先導により無事、大和の橿原の地へ入り、BC 660年2月11日に 初代神武天皇が即位したとしている。
先導の役目を終えた八咫烏は熊野へ戻り、現在は石に姿を変えているとた烏石がある。その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨し、御滝本に祀っていたが、 317年に山の中腹に社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神を遷した。これが熊野那智大社の始まりとされている。那智ノ瀧は熊野那智大社の別宮、飛瀧神社の神体として 祀っている。
熊野那智大社 配置図
名 称 : 那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ) 標 高 : 337m 場 所 : 那智勝浦町那智山8 見 学 : 2019.02.12
那智山青岸渡寺の山門 青岸渡寺本堂(如意輪堂) 青岸渡寺本堂の正面 450kg 日本一の大鰐口(豊臣秀吉寄進) 1322年造立の宝篋印塔(国重要文化財) 世界遺産の石碑
那智ノ滝
Comment: 青岸渡寺は天台宗の寺院であり、熊野那智大社に隣接している。988年に花山法皇が行幸したおり、青岸渡寺を第1番にして西国三十三所観音霊場を巡礼した。 平安時代中期以降に熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったが、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等についてはよくわかっていない。 明治初期の神仏混淆が廃止されたとき、熊野三山の熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、 のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。
現在の本堂は、豊臣秀吉が1590年に再建したもので国の重要文化財に指定されている。
【参考資料】
- 熊野三山観光協会 『世界遺産・神仏が鎮まる霊場 熊野三山』 世界遺産熊野本宮館 2018.3
- 三重県 『熊野古道 伊勢路』 三重県東紀州振興課 2015
- 和歌山県観光連盟 『熊野 神々が棲まう自然崇拝の聖地』 和歌山県観光振興課 2018
- 熊野本宮観光協会 『熊野本宮 紀伊山地の霊場と参詣道』 2019
- 熊野市観光協会 『紀伊半島ロードマップ』 熊野市ふるさと振興公社 2018
- 篠原四郎 『熊野大社』 学生社 2001
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