Last Update: January  21,  2019
Since: January   16,  2019

名 称林道金剛院線・林道星越線
標 高270〜320m
場 所香川県仲多度郡まんのう町
登 山2019.01.16






コースタイム
[阿弥陀越え〜金山神社林道側入口〜金山神社本殿]    阿弥陀越え →00:03→ 金山神社林道側入口 →00:05→ 本殿
[金山神社本殿〜金山神社林道側入口〜阿弥陀越え]    本殿 →00:03→ 金山神社林道側入口 →00:03→ 阿弥陀越え




  金山神社は、阿弥陀越えから林道金剛院線を金剛院地区に 3min ほど下ると、右側の猫山の山腹に長い石段と鳥居が見えてくる。石段を約 5min 登ると社殿に着く。 社殿はかなり立派で、由緒ある神社の風情があり、参道と同様によく手入れされている。祭神は、金山毘古神カナヤマヒコノオオカミである。
林道の下側にも石段が続いており(あまり使われていないのか落葉で埋まっている)鳥居も見ることができる。林道が金山神社の参詣石段を分断して 横切ったと考えられる。神社本殿の奥には、猫山への登山路の痕跡がみられる。この神社は、1853年の“讃岐国名所図会”には妙見社となっている。 麓の金剛院地区にある金剛寺と神仏混交となっていたのではないだろうか。
Kanayama-shrine will take a long stone steps and torii at the mountainside of Mt. Nekoyama on the right side when Kanayama-shrine goes down from Amidagoe the Forest Road Kongoji Line for about 3 minutes. When you climb stone steps for about 5 minutes, you will get to the shrine. The shrine is pretty splendid, with the venerable shrine's atmosphere, well maintained like the approach. The god of deity is Kanayamahiko-no-ookami.
Stone steps continue on the underside of the forest road (you can see the Torii that is not used much or buried with fallen leaves). It is thought that the forest road has divided and broke the shrine stone stairs of Kanayama-shrine. In the back of the shrine main shrine, traces of climbing routes to the Nekoyama are seen. I think that Kanayama-shrine had become mixed with Kongoji in Kongoin-district.

石仏山金剛寺の説明板要旨
金剛寺は平安末期から鎌倉時代にかけて繁栄した寺院で、金剛院金華山黎寺と称していたといわれている。楼門前の石造十三重塔は、上の三層が欠けているが、 鎌倉時代中期に建立されたもの。
寺の後ろの小山は金華山と呼ばれており、各所に経塚が営まれていて山全体が経塚だったと思われる。部落の仏縁地名(金剛院地区)や経塚の状態からみて、 当寺は修験道に関係の深い聖地であったと考えられる。経塚とは、経典を長く後世に伝えるために地中に埋めて塚を築いたもの。


林道金剛院線ルート地図
Track-Log by Garmin [etrex VISTA HCx]


        
阿弥陀越えの標識阿弥陀越えから畔田へ林道金剛院線の標識 金剛院地区への林道
林道の上部にある金山神社鳥居金山神社金山神社の本殿林道の下部にある金山神社鳥居
金剛院地区にある金剛寺金剛院地区にある金剛寺石造十三重塔(3塔が欠けている)林道金剛院線入口



石仏山金剛寺の説明板




  林道星越線の峠(法師越)に西行法師行脚石像がある。この石像の台座石には文政十一年(1828)子四月吉日と彫ってあるので、江戸末期の制作と考えられる。 “金剛院部落と修験道の説明板”がある場所から金剛院部落を下に眺めると、金剛寺を中心としたのどかな田園集落で、まほろばの里を連想させる。
There is a Stone statue of the Saigyohoshi in the Hoshigoe-pass (the forest road Hoshikoe Line).
The stone statue is carved with 1828, so it is considered to be the late Edo period. Looking down the Kongoin Buraku from the place where there is "Kongoin buraku and Shugendo explanatory board", it is reminiscent of "Mahoroba no Sato" in a peaceful rural settlement centering around the Kongoji.

金剛院部落と修験道の説明板要旨
金剛寺を中心とする金剛院部落の地名はすべて仏教に因んだもので、地図のように部落を取巻く峰や峠もすべて仏縁地名である。
金剛院部落の仏縁地名について考える一つの鍵は、金剛寺の裏山の金華山が経塚群であること。経塚は修験道との関係が深く、このことから金剛院の地域も、 平安末期から室町時代にかけて、金剛寺を中心とした修験道の霊域であったとおもわれる。
各地から阿弥陀越を通り、法師越を通って部落に入った修験者の人々がそれぞれの所縁坊に杖をとどめ、金剛寺や妙見社(現在の金山神社)に籠って、 看経や写経に努め、埋経を終わって後から訪れる修験者にことづけを残し次の霊域を目指して旅立っていった。


林道星越線にある説明板


     
林道の地蔵菩薩石像法師越西行法師行脚石像 金剛院部落と修験道の説明板
説明板の地点から見た金剛寺林道星越線の標識金剛寺鐘楼門金剛寺本堂

金剛寺から見た竜王山






名所旧跡案内 Miyoshi's HP