Lasy Update: Mar. 07, 2011
荒神谷遺跡は1984年に発見された新しい遺跡です。発掘が進むにつれて驚くことがたくさんありました。 それまで国内で発見された銅剣の数は全部で300本余りでしたが、この遺跡では一度に358本の銅剣が出土しました。 また、翌1985年には銅鐸6個、銅矛16本がすぐ近くで同時に出土しました。 これほどの数の銅剣、銅鐸、銅矛が1ヶ所の遺跡でまとまって出土したことは他に例がありませんでした。 この事実は今までの考古学の常識を大きく超えるもので、古代史の学説を変える可能性がでてきました。 私たちに弥生時代へのロマンが大きく膨らむ遺跡について紹介します。
弥生時代のものと考えられる遺跡が昭和59・60年に発見された斐川町は、出雲市の隣に位置し、斐伊川が大きく迂回して宍道湖に流れ込むデルタ地帯にある。 アクセスは出雲空港、JR山陰線荘原から近く、道もわかり易い。この遺跡は荒神が祭ってあることから古来、荒神谷といわれているので「荒神谷遺跡」と名づけられました。 驚くことにこの遺跡では3種類の大量青銅器(銅剣、銅鐸、銅矛)が出土しました。これまで出土した青銅器は、銅鐸は近畿中心、銅矛は北九州中心でした。 同じ場所で3種類出土したことから近畿、北九州との交流がある独自の出雲文化をもった一族の存在が考えられます。
島根県簸川郡斐川町神庭西谷〈出雲風土記〉にでてくる神名火山(仏経山)の東にある遺跡。
神話の国出雲は、南部の丘陵地帯と北部の平野地帯に二分されており、北部の平野地帯は弥生時代までは宍道湖から大社湾にかけて内海であったと考えられるので、 当時の集落は南部の丘陵地帯と思われます。
集落跡
2001年に、荒神谷遺跡の約 3 km のところで古代の集落跡が発見された。これは、荒神谷遺跡では集落跡がないことから、荒神谷遺跡に多数の銅剣、銅鐸、銅矛などを埋納した出雲勢力の集落と推定されている。 この集落跡には、竪穴式住居跡、柱穴、狩猟用落し穴があり、また瓶、壷などの土器が発見されている。
荒神谷遺跡は現在、斐川町が整備した「荒神谷史跡公園」の中にあります。公園は緑豊かな環境の中、各種の施設、史跡、展示施設などが点在し、遊園地とは異なった楽しさがあり、親子の社会勉強にも最適といえます。 入園料も無料です。荒神谷遺跡には、銅剣、銅鐸、銅矛(すべて複製)を並べて、発掘出土当時の状態を再現しています。 |
荒神谷遺跡の発掘現場 | 358本の銅剣が1ヶ所に埋蔵されていた | |||
銅剣… 弥生時代のもの | 銅剣… 刃を上にして密着埋納 | |||
銅剣、銅鐸、銅矛があった | 銅鐸、銅矛が1ヶ所に埋納されていた | |||
写真提供…玉川学園多賀譲治氏 | ||||
銅矛 | 銅矛 | |||
銅鐸 | 銅矛、銅鐸 | |||
写真提供…玉川学園多賀譲治氏 | ||||
銅鐸 |