興隆寺跡石塔群


Last Update: December 31, 2016
Since: April   05, 2012

興隆寺跡の場所

七宝山トンネルの山麓にある宮池(三豊市豊中町)近くに興隆寺跡がある。ここは四国八十八ヶ所霊場の70番札所 本山寺の奥の院といわれている。延寿寺から興隆寺川僧沿いに登ると、ミニ西国33番の石仏を頼りに更に登ると、まもなく右手の 高台に浮き彫りの不動明王坐像(磨崖仏)が現れる。

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興隆寺跡・石塔群・磨崖仏

七宝山山の石を使用して石積法で築いた大村城の石垣がある。ここから南へ約50m下った処に興隆寺跡がある。 西讃府誌に記載されている興隆寺は本山寺の奥の院で本尊薬師如来があった。伽藍跡は、三豊市豊中町下高野3730-5の一帯である。 鬱蒼たる樹木や雑草の中に花崗岩製の手水鉢、宝篋印塔、庚申塔、弘法大師像や凝灰岩製の宝塔、五輪塔など石造物が点在している。 寺の縁起や記録などから、興隆寺の石塔群は出家修行者の行供養で祈祷する石塔であったと思われる。 伽藍跡から約70m下ると、凝灰岩の岩壁を庇状に掘り窪め、その中に宝塔・五輪塔・宝篋印塔などを約70基列状に並べられている。 凝灰岩の庇があるため、風化の度が軽微で比較的原形に近い状態で保存されている。 更に、約20m下の下段には不動明王(座像)の磨崖仏を中央にして、左右に五輪塔約30基を配列してある。 これらの石塔は、鎌倉時代の後期から室町時代の末期に及ぶ約200年の長期間にわたって継続的に造立されたものと考えられ、 各時代の風格をただよわせている。この石塔群は、中世における石塔様式の流れが把握できる貴重な文化財遺跡である。

興隆寺跡 興隆寺跡
興隆寺跡の宝塔・宝篋印塔興隆寺跡の庚申塔・五輪塔・弘法大師像

   
石塔群 石塔群
上段の石塔群上段の石塔群
石塔群 石塔群
上段の石塔群上段の石塔群

   
石塔群 石塔群
下段の不動明王像(磨崖仏)下段の不動明王像(磨崖仏)
石塔群 石塔群
下段の石塔群下段の石塔群

石造宝塔のあれこれ

興隆寺跡で見ることのできる石造宝塔は、「鳥坂を越えると文化が変わる」という伝承どうりなのか、 讃岐形宝塔とは一味違った三豊形宝塔の流れを汲んでいる。この種の代表的な宝塔が高瀬高校の隣にある柞原寺にある。
 凝灰岩製宝塔の塔身部に方形の開口部(納入穴)があり、遺骨や遺髪などを納めたと考えられるが、現状は地蔵菩薩が祀られて いる。興隆寺跡にある宝塔も柞原寺の影響をうけていると考えられる。
興隆寺跡にある石塔群は108基あり、製作年代は鎌倉時代後期から室町時代の約200年に及んでいる。

   
宝塔 五輪塔
興隆寺跡の宝塔草むらにある無数の五輪塔
宝塔 宝塔
豊中タイプ宝塔(興隆寺跡)鎌倉時代後期の宝塔(柞原寺)



【参考文献・データ】
 (1) 三豊市教育委員会 三豊市の文化財 115 (2009)
 (2) 香川県文化財保護協会調査研究会 石造宝塔から見た中世の三豊地方 (2012)