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Last Update: Dec. 15, 2008

名  称:神谷神社(延喜式内)読  み:かんだにじんじゃ祭  神:火結命・奥津彦命・奥津姫命
所在地:坂出市神谷町 621電  話:0877-47-0770様  式:三間社流造


JR坂出駅より琴参バス王越行き高屋停留所下車徒歩20分のところ、白峯山の麓にある。本殿は三間社流造りの神社として昭和30年2月に国宝として指定されて現在に至っている。 三間社流造りの本殿は、檜皮葺の屋蓋・ヤリ鉋仕上げの丸柱や長押、大きく面をとった向拝の角柱などに鎌倉建築の様式をよく表現されており、この時代の建築としては我が国最古といわれている。
大正時代に本殿の修理が行われて何枚かの棟札が見つかり、その1つに建保7年に本殿を再建したことが記された墨書銘がでてきた。 神谷神社本殿は、鎌倉時代に再建され当時の建築様式を残しており、その名称記録は平安時代の「三代実録」や「延喜式神名帳」といった文献にも見い出すことができる。


本殿及び拝殿

神谷神社本殿本殿屋根の反り
神谷神社本殿(国宝)

拝殿

棟木の墨書銘は、「正一位神谷大明神御宝殿、建保7年歳次巳卯2月10日丁未日始之、惣官散位刑部宿弥正長」としたためられていた。


木造随身立像及び木造狛犬

阿形(重要文化財)吽形(重要文化財)木造狛犬

木造随身立像(重要文化財)

欅材でつくられた高さ25p の立像で、体部に頭部と両袖を矧付けて内刳りのない特殊な寄木造り。 阿・吽一対で、写実的面相や深い衣褶りの彫りは鎌倉初期のものと考えられている。 ロシアやアメリカの美術館で開かれた「日本古彫刻展」に出品されたことがある。


木造狛犬

高さ22p の小型狛犬、前足を高く蹲踞し、たてがみは頭から首にかけて密着し、背は骨格を精巧に彫出したもの。鎌倉時代の作。


坂出市指定文化財

●舞楽面二面
  抜頭・還城楽の2面で、抜頭面は顎部を破損しているが勇壮な面相と筋肉の盛上りに写実性がある
  鎌倉時代の作。還城楽面はその描写がややかたいが室町初期の作である。





●大般若経六百
  一巻一冊施風葉に綴られた写経600巻で、黄麻紙を用い半丁に1行17字で9行が書かれている。
  書体・形式から見て鎌倉末期に複数の写経僧によって書かれたと考えられる。


神谷神社縁起

太古に神々がこの渓谷に集い遊んだところからこの地を神谷といい、また自然居士がこの川渕に忽然と現れ、傍にあった大岩を祭壇として天津神を祀ったと伝えられている。
神社の裏に影向石えいこうせきと呼ばれる磐座いわくらがあり、その祭祀が古代に創ると考えられる。弘仁3年に阿刀大足が社殿を造営し、春日四神を相殿に勧請したといわれ、延喜5年には国司班幣の神として延喜式神名帳に記載されている。
この地方では、五社大明神とか清滝社と呼ばれ、その祭事には舞楽上納・大般若経の転読などがおこなわれた。また武門の尊敬も厚く、建保7年には刑部正長が本殿を再建(現本殿)した。

神社の縁起案内板によると

◇祭神: 火結命ほむすびのみこと   奧津彦命おきつひこのみこと
      奧津姫命おきつひめのみこと   春日四柱神かすがよはしらのかみ
◇由来・ 社伝史実其他:
     神谷の渓谷にあった深い渕から自然に湧き出るような一人の僧が現われ渕の傍にあった
     大岩の上に祭壇を設け天津神を祀り国家安泰五穀豊穣を祈ったのが神谷神社の創始と
     謂われている。其の後嵯峨天皇弘仁三壬辰年阿刀大足がここに社殿を造営再興し春日
     四柱の神を相殿に勧請し、益々霊験著く阿野郡北一円の守護神として人々の崇敬が深く、
     又境内に流れる川の奥に深夜神々が奏する神楽の鈴の音がすると言うのでこの里を
     神谷と呼ばれたとも謂う。
   ●貞観七年冬十月九日丁巳 三代実録
   ●讃岐国従五位下神谷神授二従五位上一
   ●貞観十七年申授 三代実録
   ●讃岐国従五位上神谷天神正五位下
     延喜五年十二月二十六日宣下 延喜式神名帳に讃岐国阿野郡北 神谷神社と載せられ
     建保七年造営の本殿棟木には正一位神谷大明神の墨書銘がある
◇文化財・国宝重要文化財: 国宝本殿 一棟 三間社流れ造り
   ★明治三十七年特別保護建造物指定
   ★昭和三十年二月六日 国宝指定
     流れ造り社殿の中で建築年代の明らかなのでは、我国最古の遺構である本殿棟木に
     「正一位神谷大明神御宝殿、建保七年歳次巳卯二月十日丁未日始之、
     惣官散位形部宿弥正長」とある
◇重要文化財: 随身立像 作者不詳
   ★昭和四十一年六月十一日指定阿吽像二躯
     欅材胴躯部一木造りで巾子冠をいただき闕腋を着用し持物を執る姿をして
     鎌倉の時代に作られたと思われる優秀な神像である

境内で目についたもの

経塔(地神社)影向石(磐座)残念石

  • 経塔: 6角の石塔で、拝殿の塀外右側にある。もとは清滝寺の経塔と考えられる。
  • 影向石: 古代神谷神社が建立されるまで神の依代として祀られた祭祀の跡。
  • 残念石: 天正年間に攻めてきた軍兵に熊蜂が襲い、神社に侵入できなかったので残念のあまりこの石を切りつけた。






【参考文献・データ】
  1. 延喜式内 国宝 神谷神社
  2. 香川県坂出市HP   http://www.city.sakaide.lg.jp/index.html
  3. 日本建築学会論文報告集  社団法人日本建築学会  No152 (1968)

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