Last Update: June 05, 2018
Since: May 30, 2018

所在地さぬき市志度1102さぬき市長尾西2490
場 所志度寺一心庵
種 類角柱石碑自然石 ・ 手水鉢
表 示常接待常施待 小豆嶌 ・ 万人講中 御料小豆嶌肥土山邑
施 主小豆島講〜〜〜 ・ 太田氏妻
時 期〜〜〜1792 ・ 1791


四国霊場88ヶ所札所に番号を付けたのは大阪寺嶋の宥辨真念ゆうべんしんねんといわれている。彼は四国遍路88ヶ所を20回以上歩いて巡拝し、 四国遍路について現存する初めての旅行案内書(貞享4(1687)年発行)と云われる『四國邊路道指南しこくへんろみちしるべ』(異本として “四國偏禮道指南しこくへんろみちしるべ”がある)と、その霊験記である『四國偏禮功徳記』を江戸時代に出版し、広く庶民に遍路を紹介した。 また、遍路宿(真念庵)や石柱道標を建立して、庶民の四国遍路がブームになったといわれている。真念の墓は高松市牟礼町の洲崎寺にある。 四国遍路参拝が定着すると、遍路道沿いに住む地域の人達は「お遍路さん」に対して接待する風習ができあがった。四国遍路の接待は「大師への功徳」であり、 「自分の代わりにお参りを託す」という意味をもっている。接待の種類には、お茶や軽食、休憩所や善根宿の提供などがある。
香川県さぬき市には、上がり3ヶ寺といわれる86番札所志度寺、87番札所長尾寺、88番札所大窪寺があり、これらの寺を結ぶ旧遍路道が現在も残っている。旧遍路道沿いには 接待をする場所があったと考えられる。志度寺境内と長尾寺から大窪寺へ向かう南塚原地区にある一心庵いっしんあんに、小豆島講中による 常接待の場所があったことを示す石碑が残っている。常接待とは、常に接待を行っている場所で、常摂待・常施待・常接待とも表現している。
志度寺境内にある石碑は、《永代常摂待》と刻字されているが建立時期は不明であるが、この角型石碑の隣に接待小屋が2005年頃まで残っていたが現在は取り壊されている。 南塚原の一心庵には自然石に《常施待 小豆嶌》寛政四子年(1792) 三月廿四日と刻字されており、更に波切不動堂にある手水鉢に《万人講中 御料小豆嶌肥土山邑》寛政三年 (1791)とある。この場所でも常接待を行う建物があったと考えられるが、一心庵が善根宿のような役割を行っていたのだろうか。
一心庵の近くには鴨部川かべがわがあり、河口は志度沖に続いている。小豆島講中は海路を経て志度沖に来て、更に鴨部川を溯り南塚原に到着したと 想像できる。



志度寺にある生駒親正墓塔 (2018.05.28)



航空写真:小豆島から鴨部川を上って一心庵へ



小豆島常接待の石碑

志度寺の常接待石碑一心庵の常接待石碑一心庵の手水鉢
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・志度寺 常接待石碑の刻字;    永代常摂待   施主 小豆嶋中
                    
・一心庵 常接待石碑の刻字;    常施待  小豆嶌 寛政四子年 三月廿四日
                    
・一心庵 手水鉢の刻字;       御料小豆嶌肥土山邑 寛政三年 万人講中  施主 太田氏妻



一心庵境内の建造物

一心庵波切不動堂一心庵の説明板
一心庵内部波切不動堂内部金毘羅大権現
塚原稲荷神社農村歌舞伎が行われた神社境内農村歌舞伎とあばれ御輿の説明板
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・金毘羅大権現;     一心庵の東側を流れる鴨部川畔にある。鴨部川からの上陸乗船地点の目印だろうか… 。

・塚原稲荷神社境内;  神社境内で、1965年頃まで農村歌舞伎小屋が常設されていた。一心庵にも近いことから小豆島肥土山農村歌舞伎との
               関連も考えられる。また、期間限定の逆接待も行われていた。



一心庵案内図

境内案内図遍路の装い


志度寺境内の建造物

本堂
(江戸時代)
仁王門
(1670年の建立)


えん魔堂(1671年建造)
屋根は宝形造瓦葺き。
奪衣婆堂だつえばどう(18世紀中頃の建築)
屋根は宝形造瓦葺き。

・えん魔堂; 高松藩主の松平頼重が寄進した。1671年に建立され、内部は向唐破風むこうからはふ造の仏壇構を設け閻魔大王が安置されている。

・奪衣婆堂; えん魔堂と向かい合って建っている。建屋は簡素な3間堂で、内部には3間通しの仏壇があり、奪衣婆だつえばが座っている。
         奪衣婆とは三途の川のほとりにいて、亡者の着物を奪い取る鬼婆のこと。


志度寺案内図

境内案内図志度寺名勝絵図



【参考文献・データ】
  1. 稲田道彦        『四國偏禮道指南 ―読み下し文と解説―』   美巧社    2013
  2. 近藤喜博        『四国霊場記集』                  勉誠社    1973