Last Update: January 09, 2018Since: November 15, 2017
名 称: | 出雲大社 | 読 み: | いずもたいしゃ | 祭 神: | 大国主大神 | ||
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所在地: | 出雲市大社町杵築東195 | 電 話: | 0853-53-3100 |
祭神は、因幡の白兎神話に登場する大国主大神で、“だいこくさま”といわれている神様。境内27,000 m2には、 国宝の本殿を中心に拝殿、摂社8社、末社3社、文庫、宝庫、彰古館などが建ち並んでいる。現在の本殿は1744年に建立したもので、高さ24mあり白木を用いた日本で一番古い 神社建築様式である大社造りの代表的な建造物である。
本殿の西にある神楽殿には、長さ13m、周囲9m、重さ5tの注連縄がある。神々の故郷・出雲には、神在月(神が在る)がある。一般に10月のことを神無月 と呼び、神々が出雲に集合して全国に居なくなることをいう。しかし、出雲には神々が集まるので神在月と呼ぶ。
全ての神様が出雲に出かけてしまえば、出雲以外は神様がいなくなると思われるが、留守番をする神様がいる。恵比須神、金毘羅神、竈神や道祖神など。Generally refers to October as Kannaduki, meaning that the gods gather in Izumo and are no longer in the whole country.
However, Izumo is called the godly moon (Kamiariduki) because the gods gather.
出雲大社の航空写真・地図 |
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本殿 現在の本殿は1744年に造営された。 1952年に国宝に指定された。 | 拝殿 参拝者の祈祷が行われる場所で、古伝新嘗祭 等の祭や奉納行事が行われる。 | 銅鳥居 荒垣正門にある碧銅の鳥居は、 1666年毛利輝元の孫綱広の寄進。 |
楼門 神域を守護している入口。 重層の建物や物見櫓の意味もある。 | 八足門 拝殿(御仮殿)の奥に位置しており、 八足門の内側が出雲大社の本殿となる。 | 回廊 回廊は八足門の左右にあり、 彩色を持たない質素な白木造り。 |
御向社(左側) 大神大后神社ともいい、大国主大神 の正后・須勢理毘賣命を祀っている。 |
筑紫社 宗像三女神の一人、多紀理毘賣命 を祀っている。 |
天前社(右側) 大国主大神の蘇生を行った蚶貝比 賣命・蛤貝比賣命を祀っている。 |
門神社 八足門内の両側で本殿を守護する 宇治神・久多美神を祀っている。 |
素鵞社 須佐之男命を祀っている。 本殿の後にある。 |
釜社 素戔嗚尊の子の宇迦之魂神を 祀っている。 |
氏社 出雲国造家祖神の天穂日命と出雲 氏初代の宮向宿彌を祀っている。 |
十九社 東西にあり、八百萬神を祀っている。 神在祭では、神々の宿舎となる。 |
彰古館 出雲大社に伝わる各種資料を展示 して、古い遺産を広く公開している。 |
宝庫 宝物を収蔵している。正面階段の 上に張り出した庇があり檜皮葺。 |
神楽殿 巨大な注連縄がある。神楽舞、 祈祷や結婚式も行っている。 |
文庫 古文書などを保管している。越屋根 を用いて温度を一定に保っている。 |
命主社 祭神;神産巣日大神 大国主が迫害を受けたとき、 救ったり、事業を護ったりした。 |
三歳社 祭神;高比売命・事代主神・年神 この社で行われる福迎神事では、 福柴を貰い1年の開運を祈る。 |
大歳社 祭神;大歳神 素戔鳴尊の子で、五穀を守護する神。 |
乙見社 祭神;高比売命/下照比売命; 大国主と多紀理比売命との子で、 高天原から来た天若日子の妃になる。 |
上宮 祭神;素戔鳴尊・八百萬神 旧10月に全国の神が集まり、 この社で神議をする。 |
下宮 祭神;天照大御神 総氏神のように崇められる神。 |
出雲井社 祭神;岐神 天照大御神の使者の案内役として 諸国を巡り、 国内の平定に尽力した。 |
湊社 祭神;櫛八玉神 大国主が出雲大社に鎮まるとき、 八十甕を作り、 火を焚いて 祝辞の言葉を述べてた。 |
◎国宝◎; ・出雲大社本殿(附 内殿1基、棟礼1枚)(建造物) - 1744年の造営。1900年4月7日に国の重要文化財に指定 - 1952年3月29日に文化財保護法に基づく国宝に指定 - ・秋野鹿蒔絵手箱 1合(工芸品) - 鎌倉時代初期の作。1952年3月29日指定 - ◎国指定重要文化財◎; ・出雲大社 21棟1基(建造物) - 2004年7月6日指定 - ・楼門 ・神饌所 2棟 ・玉垣 ・摂社大神大后神社本殿 ・摂社神魂御子神社本殿 ・摂社神魂伊能知比売神社本殿 ・摂社門神社本殿 2棟 ・八足門 - 蛙股の瑞獣や流水文などの彫刻は左甚五郎の作と伝えられる - ・観祭楼及び廻廊 ・西廻廊 ・瑞垣 ・摂社素鵞社本殿 ・摂社氏社本殿 2棟 ・末社釜社本殿 ・末社十九社本殿 2棟 ・宝庫 ・会所 ・銅鳥居 - 1666年、長州藩3代藩主毛利綱広の寄進 -
・祭神:
八雲立つ出雲の国が神の国・神話の国として知られているのは、神々を祭る神社が、今日も至る処に鎮座しているからである。 その中心が大国主大神を祭る出雲大社である。 大国主大神は、“だいこくさま”として慕われ、日本全国多くの地域で祀られている。 大国主大神がそれぞれの地域で示した様々な神徳は数多くの御神名によって称えられている。
・鎮座:
大国主大神が国づくりによって築いた国は、豊葦原の瑞穂国と呼ばれ、あらゆるものが豊かに、力強く在る国であった。大国主大神は国づくりの後、 築いた国を日本民族を遍く照らし治める天照大御神へと還した(国譲り)。 天照大御神は国づくりの大業を喜び感謝して、今後この世の目に見える世界の政治は、私の子孫があたることとし、あなたは目に見えない世界を司り、 そこにはたらく「むすび」の霊力によって人々の幸福を導いて下さい。また、あなたの住居は天日隅宮といって、 私の住居と同じように、柱は高く太い木を用い、板は厚く広くして築きましょう。そして私の第2子の天穂日命をして仕えさせ、末長くお守りさせます。 と言った。こうして大国主大神は目に見えない世界を司られ、天照大御神の命令によって高天原の諸神が集まり、大国主大神のために宇迦山の麓に壮大な 宮殿が造営された。そして大国主大神は永久に鎮まって人々の幸福のために慈愛をそそぐことになり、今日まで厚い信仰を受けている。
出雲大社で目につい銅像
大国主大神 大国主大神と白兎 神牛 神馬
出雲大社周辺の名所旧跡
日御碕神社
出雲国風土記に美佐伎と記される神社。
神社は下の宮と上の宮という上下2社から
なっており、総称して日御碕神社と呼ぶ。
祭神;天照大御神・神素盞嗚尊出雲日御碕灯台
高さ43.65m、海面から灯塔の頭上まで63.30m。
1903年に設置され、光度は48万カンデラで夜間
約40km沖合まで達する。 外壁は石造りで、
内壁はレンガ造りの二重構造となっている。一畑薬師
標高200m の一畑山上にあり、参道石段は
1138段ある。894年、麓の赤浦海中から
漁師の与市が引き上げた薬師如来を
本尊としている。
一畑薬師 御霊水
薬師如来の薬坪から御霊水が出ており、
目の薬師、子どもの無事成長の仏として、
諸病の平癒と心身の健康に霊験あらたか。御霊水の天井絵
一番薬師の起源が描いてある。
盲目の母と暮らしている与一が薬師如来を
引きあげ、母の目が見えるようになったまで。天井絵の薬師如来を引上げ
縁起の絵の一部でミサゴの飛翔から、
薬師如来の海中出現、
与一が薬師如来を引きあげる絵。
【参考文献・データ】
- 出雲市 出雲市観光パンフレット
- 出雲大社のHP http://www.izumooyashiro.or.jp/
- 岡田荘司 『古代出雲大社の祭儀と神殿』 学生社 2005