肥土山農村歌舞伎の舞台は土庄町肥土山地区にある離宮八幡神社の境内にある。“肥土山の舞台”は舞台間口17.10 m、奥行8.83 mの
寄棟造り茅葺本瓦葺、総下屋付で、高座は舞台寄高座桁行11.8 m、梁間3.94 m 二層切妻造り桟瓦葺、神社寄高座桁行7 m、梁間5 m 二層入母屋造り桟瓦葺での古の趣きが
ある舞台である。
現在の舞台は1896年に台風で倒壊したのを、1900年に元の舞台より大きくして復興した。花道、廻り舞台、迫り上り、奈落、葡萄棚、天井、化粧部屋、楽屋、大夫座など
すべて歌舞伎舞台の模式的なものが揃っている。
1686年、蛙子池の完成を祝って、仮小屋を建てて芝居をしたのが、肥土山農村歌舞伎のはじまりだと言われている。重要有形民俗文化財に指定されている舞台のほかに
舞台寄り神社寄り高座(見物席)2棟、衣装蔵1棟と桟敷も指定に含まれている。
衣装蔵には根本約300冊・かつら約50点・衣装約620点の上に、床机・幕・襖・脇差しから行灯にいたるまで、大道具・小道具が保存されている。
見物席はゆるやかな傾斜地を東西12段に区切った階段状の桟敷で 883.59 u ある。この見物席は肥土山地区の 6組で、2段づつ毎年上下に交代で使用している。
各戸の座席は組長が籤引きをして決めている。小豆島以外から来た見物客には、離宮八幡神社の1段下で歌舞伎舞台の正面が見える位置に桟敷を設けている。
この肥土山農村歌舞伎は、1686年に庄屋の太田伊左衛門典徳が上流にある蛙子池(溜池)を改修築造して、この池から離宮八幡神社の境内まで水を流したのを喜んだ
農民が仮小屋を建てて芝居をしたのが始まりと伝えられている。
The stage of Hitoyama-noson Kabuki is in the boundary of Riguhachiman-Jinjya(shrine) in the Hitoyama, Tonosho-cho district in the Shodoshima.
A schematic thing of an Hanamichi(elevated passageway) leading to the stage, the Mawaributai(circumference stage),
the real Kabuki stage including the coming up to up, a Naraku(hell), a Budodana(self to support hanging flying eqipments),
a Tenjyo(ceiling), a Keshobeya(makeup room), a Gakuya(dressing room), the Tayuza(tayu seat) is prepared.
The Ota izaemon-tsunenori celebration virtue of the village headman repairs the Kaerugoike(Kaerogo Pond) in the upper reaches (reservoir) in 1686,
and this Hitoyama-noson Kabuki constructs it, and what a farmer pleased with what drained water from this pond to the precincts of
the Riguhachiman-Jinjya(shrine) builds a booth, and did a play is informed it with an opening.