Last Update: November  02,  2019
Since: February   12,  2019

    350〜400年頃、インドから熊野の海岸に漂着した裸形上人らぎょうしょうにんによって開山されたと伝えられている古刹で、平安時代から 江戸時代にかけて人々が観音浄土である補陀洛山へと小船で那智の浜から旅立った宗教儀礼“補陀落渡海ふだらくとかい”で知られている。 江戸時代まで那智七本願の一角として大伽藍を有していたが、1808年の台風により主要な堂塔は全て滅失した。その後長らく仮本堂であったが、1990年に現在ある 室町様式の高床式四方流宝形型の本堂が再建された。
1993年に寺本静生氏(熊野新聞社社主)により補陀落渡海船を復元建造して“那智山宮曼荼羅”(熊野那智大社蔵)に描かれているように那智の海に浮かべた。 渡海船の上に造られた屋形に人が入ると、出入口に板が嵌め込まれ外から釘を打ちつけて固定する。屋形の四方には4つの鳥居がある。 これは「発心門」「修行門」「菩提門」「涅槃門」の死出の門を表しているとされている。補陀落渡海は、日本の中世において行われた、捨身行の形態と考えられる。


“那智山宮曼荼羅”に描かれている渡海船1993年に復元した渡海船





名 称補陀洛山寺(ふだらくさんじ) 天台宗白華山
本 尊三貌十一面千千眼観音菩薩
標 高7m
場 所那智勝浦町浜ノ宮348
見 学2019.02.12



     
補陀洛山寺世界遺産の標石標石に彫った渡海船
渡海船(復元船)渡海船(復元船)熊野三所大神社


天台宗 補陀洛山寺


  
この補陀洛山寺は、南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指す補陀落渡海船の出発点であった。補陀落ふだらくとは サンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、観音菩薩の住む浄土を意味している。熊野三山の神々を祀る熊野三所大神社が隣にあり、神仏習合の信仰形態を色濃く 残している。神道、仏教や修験道が混然一体となり熊野信仰が形成された。
補陀洛山寺は、浜の宮王子の守護寺で、那智権現の末寺のひとつであった。本尊の十一面千手千眼観音は国重要文化財で、平安後期の作といわれている。









  
那智の浜 復元した渡海船 浄土へ向かう渡海船(想像図)


   【補陀落渡海の形態】
 南方を臨む海岸で行者が渡海船に乗り込むと、渡海船は白綱で繋がれた伴走船とともに沖の綱切島あたりまで行き、綱を切る。あとは波間を漂い風に流され、 いずれ沈んでいったと思われる。渡海僧は、船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間のなかで、かすかな灯火を頼りにひたすら経を読み、観音浄土に 生まれ変わることを願い、入水往生を遂げた。
最も有名なものは紀伊(和歌山県)の那智勝浦における補陀落渡海で、『熊野年代記』によると、868〜1722年の間に20回実施されたという。 この他、足摺岬、室戸岬、那珂湊などでも補陀落渡海が行われた記録がある。熊野那智の渡海は、原則として補陀洛山寺の住職が渡海行の主体であったが、 例外として『吾妻鏡』1233年5月27日の条に、下河辺六郎行秀という元武士が補陀洛山で「智定房」と号し渡海に臨んだ記録が残っている。

   【渡海船】
 “那智参詣曼荼羅”に補陀落渡海の様子がが描かれており、現在、補陀洛山寺に1993年に復元建造された渡海船が置いてある。これによると、和船の上に 入母屋造りの屋形が乗せてあり、屋形の四方に鳥居が4基建っている。鳥居門は「発心門」「修行門」「菩提門」「涅槃門」との名称がついている。 屋形の中には30日分の食物や水とともに行者が乗り込み、入口は板などで塞がれ、外から釘を打込み外へ出ることができなくなる。 一般には艪、櫂など航行の道具は備えていない。これは、生還することなく遺骸となっても戻ってこないことが浄土へ至った証との思想に基づいている。

   【思想・地理的背景】
 仏教では西方の阿弥陀浄土と同様、南方にも浄土があるとされ、補陀落(補陀洛、普陀落、普陀洛とも)と呼ばれた。その原語は、チベット・ラサのポタラ宮の 名の由来に共通する古代サンスクリット語の「ポータラカカ」である。華厳経によれば補陀落は観自在菩薩(観音菩薩)の浄土である。 浄土信仰が民間でも盛んとなった平安後期から、民衆を浄土へ先導するためとして渡海が多く行われるようになった。渡海は主に黒潮が洗う本州の南岸地域で行われた。 特に南紀・熊野一帯は、それより以前から密教の聖地、さらに遡って記紀の神話にも登場する信仰の場である。
『日本書紀』神代巻上には、「少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷にいでましぬ」という他界との繋がりがみえる。 黒潮は地球規模でも強い海流の一つであり、この流れに漂流するとかなりの確率でそのまま日本列島の東側の太平洋に流されていき、戻ってくることがない。 ごくまれに南下する親潮により南への循環流に乗り、再び日本の沿岸へ漂着することがある。



大きい地図  





【参考資料】
  • 根井浄    『補陀落渡海史』    法蔵館                         2008
  • 神野富一   『補陀洛信仰の研究』  山喜房佛書林                    2010
  • 熊野本宮観光協会  『熊野本宮 紀伊山地の霊場と参詣道』            2019
                  


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