越裏門の地蔵堂と鰐口


Last Update: July 23, 2013
Written by S. Miyoshi

越裏門えりもんは、四国山脈を形成する石鎚山系の東側に当たり、吉野川の最上流部に位置しており、 海抜700mあたりにある寒村である。
越裏門地主地区にある地蔵堂の奥から発見された鰐口は、四国88か所巡拝の概念が室町時代中期以前に出来ていたことが裏付け された。
実物の鰐口と地蔵堂のある場所を確かめたくて、越裏門(旧本川村越裏門)のあちこちを探し廻った。

1 はじめに

四国88か所は、いつ誰によって定められたか、確定的な説はない。しかし、1689 (元禄2) 年に高野山宝光院の学僧・寂本阿闍梨 が出した「四国遍礼霊場記」には88か所が決まっていた。
越裏門の地蔵堂から発見された鰐口の刻銘文から四国88か所の概念成立が室町時代中期までさかのぼると考えられるようになった。

2 地蔵堂の鰐口

四国88か所概念成立の時代が室町時代中期へさかのぼる拠所と考えられている高知県本川村(現、いの町)越裏門の地蔵堂と 鰐口を確かめに足を延ばした。
松山自動車道のいよ西条ICで下り、国道11号線・194号線で寒風山トンネルと本川トンネルを経て長沢へ。県道40号線に入ると すぐ左側に、いの町本川総合支所・本川教育事務所(旧本川村教育委員会)・本川村新郷土館が吉野川沿いに並んで建っている。
本川教育事務所で近辺の情報を仕入れ、本川村新郷土館へ案内してもらった。
目指す「地蔵堂の鰐口」は他の3個の鰐口と共にガラスケースの中に陳列してあった。一般解説書などは無いが、本川村史4編が あり、第2編の越裏門地区の項に地蔵堂について詳細な記事があった。
三叉路の指標 教育委員会の人に越裏門への道路状況や地蔵堂の場所を聞いたが、彼は見たことも行ったこともなく詳細な場所は知らないとの こと、自分で探すしかないと覚悟を決めて越裏門へ。
県道40号石鎚公園線は吉野川を遡り、よさこい峠に至る。越裏門バス停から100m程進むと三叉路があり、山中家住宅への標識がある ヘァピンカーブの道を登る。水車 重要文化財の山中家住宅を見学。途中で出会った郵便配達のお姉さん(きれいな人)に地蔵堂の場所を 聞くが、知らないと言われた。それらしき所を足で探すが見つからない。山道を車で更に前進すると水車がある所を経て県道40号線 に出てしまった。県道際の家で聞いたら、水車の少し先を未舗装の山へ入る道があると教えてくれた。いまきた山道を引き返して みたがどうにも見つからない。始めの三叉路まで戻り、近くにある岡林商店で尋ねたら、やっぱり水車の近くに林道建設工事中の 道を登れば有るとのこと。3度目の挑戦でやっと見つけることができた。粘り勝ち、感激!
地蔵堂は山の中にひっそりと建っていた。簡単な神社風建築で前面に拝殿、後面に地蔵堂があり、拝殿と地蔵堂の間には戸板の ような渡りがある。地蔵堂の両開きの扉を開けたが、中は真っ暗で何も見えない。闇に向かってカメラのシャッターを切ったら 奥に木製祠が祀ってあった。木製祠の左に棟札むなふだ2枚、右に棟札2枚があった。

地蔵堂 地蔵堂の内部
地蔵堂地蔵堂内の祠と棟札

文献によると地蔵堂の本尊は棟札から宝暦12年には地蔵菩薩であり、寛政13年になると薬師如来になっている。この地蔵堂奥に 福嶋氏が旧福蔵寺に寄進した鰐口があった。鰐口は前述のように本川村新郷土館に展示されている、鰐口の刻銘文は、 岡本健児の解読によると

    鰐口の面径;11.8p  左右の目をいれた径;14.8p  中央の撞座径;7.8p
    鰐口中央部の厚さ;3.5p

鰐口の特色から製作年代は室町時代である。

地蔵堂の鰐口 鰐口の図解
地蔵堂の鰐口鰐口の図解

3 毘沙門堂

記録によると越裏門には堂が二ヶ所あった。地蔵菩薩を本尊とする地蔵堂と毘沙門天を本尊とする毘沙門堂で、毘沙門堂は 現存していないが、文献記録の『本川郷風土記』に地蔵堂とは別に「堂一ヶ所 本尊毘沙門 作不相知、此堂在所中ニ有」と 『土佐国堂記抄』には「越裏門村土居ヤシキ東、毘沙門棟札寛保三亥年十一月造立」と記されており、毘沙門堂が寛保3年(1743) まではあったことがわかる。毘沙門堂が消滅した手掛りはない。地蔵堂が残ったのは時の権力者の守り本尊として残った と考えられる。

4 おわりに

越裏門には、嘗て地蔵堂と毘沙門堂の二ヶ所の堂があったが、現在は地蔵堂のみが残っている。地蔵堂から発見された鰐口の 裏面にある刻銘文は、文明3年(1471)「村所八十八ヶ所」とあり、このことは室町時代に村内(越裏門)に88ヶ所が存在しており、 四国八十八ヶ所巡拝の概念が形成されていたといえる。
地蔵堂の中にある寛政13年(1801)の棟札によると、中央に薬師如来、左脇侍に聖観音菩薩、右脇侍に延命地蔵菩薩を配している。
今回地蔵堂の中に木製祠があるのを確認したが、祠の扉を開けて確かめることができなかったが、本尊は薬師如来を祀ってあると 推測できる。

越裏門地区MAP
越裏門地区


【参考文献・データ】
(1):本川村「越裏門地区」『本川村史』  1989
(2):岡本健児 「土佐国越裏門地蔵堂の鰐口と四国八十八ヵ所」『考古学叢考』 1988
(3):近藤喜博『四国遍路研究』 1982
(4):愛媛県生涯学習センター 「調査報告書」『ふるさと愛媛学』 2000

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