Last Update: December 09, 2016
所在地京都府宇治市宇治蓮華116
山 号朝日山あさひやま
宗 派単立
本 尊阿弥陀如来 Om Amrta-teje Hara Hum
文化財国宝 [鳳凰堂・阿弥陀如来坐像・雲中供養菩薩像・金銅鳳凰・梵鐘] 重要文化財 [観音堂・十一面観音立像]


関白藤原頼通が永承7(1052)年、父の藤原道長より譲り受けた別荘を寺院に変更した。この年は末法初年に当たり、末法思想*1が貴族や僧侶らの心をとらえ、 極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に蔓延した。その翌年の天喜元(1053)年には阿弥陀堂(現在の鳳凰堂)が建立され、堂内に平安時代最高の仏師である定朝じょうちょう *2によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされている。約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、 世界遺産にも登録されている。
 *1; 釈迦の滅後、年代がたつにつれて正しい教法が衰滅するとする思想。
 *2; 平安中期の仏師で康尚の子。1020年―1054年ころ藤原道長の法成寺や興福寺、藤原頼通の平等院の造営に従事した。寄木造技法の完成者とされている。

平等院の航空写真・地図


国宝(鳳凰堂 阿弥陀如来坐像 雲中供養菩薩像 金銅鳳凰 梵鐘)

鳳凰堂の全景
鳳凰堂
阿弥陀如来供養菩薩像 供養菩薩像
阿弥陀如来坐像(国宝)雲中供養菩薩像(国宝) 雲中供養菩薩像(国宝)
金銅製鳳凰仏後壁前面画 梵鐘
金銅鳳凰(国宝)九品來迎図(国宝) 梵鐘(国宝)

鳳凰堂
華やかな藤原摂関時代を偲ぶことのできる唯一の遺構で、大変貴重な建築である。最も大きな特徴は阿字池の中島に建てられており、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、 その美しい姿を水面に映している。平等院案内図 建造物としては中堂、北翼廊、南翼廊、尾廊の4棟からなっている。中堂は石積の基壇上に建っており、東向きの正面で阿弥陀如来坐像を安置しており、その北と南 (向かって右と左)にそれぞれ北翼廊、南翼廊が接続して建ち、中堂の西(背後)には接続した尾廊が建っている。
基壇は壇上積基壇といい、地覆石、羽目石、束石つかいし葛石かつらいしからなる格式の高いものである。 中堂の外観は2階建てのように見えるが、建築構造としては一重裳階付いちじゅうもこしつきである。裳階とは、身舎もや (建物の主要部)の周囲に差し掛けられた屋根の部分を指す。身舎は入母屋造、本瓦葺き。組物は三手先みてさき中備なかぞなえ間斗束けんとづか、軒は二軒繁ふたのきしげ垂木とし、棟上に一対の金銅鳳凰を設置している。 現在は国宝保存の観点から、1968年以降レプリカの鳳凰が設置されており、実物(国宝)は鳳翔館に保管されている。

阿弥陀如来坐像
鳳凰堂にある阿弥陀如来坐像は、平安時代後期の天喜元(1053)年に定朝によって造られた。その構造技法は日本独自の寄木造りの完成した技法を示している。 また表現の上でも日本独自の和様式の完成を見せており、頬がまるく張った円満な顔、伏し目がちであるが意外に大きな眼は拝む者を静かに見つめ、その表情はかぎりない優しさ にあふれている。胸をひいて背をわずかにまるめた姿勢には無理がなく、いかにも自然で、どこにも硬い緊張感がない。

雲中供養菩薩像
鳳凰堂中堂内部の長押なげし上の小壁に懸けならべられている52躯の菩薩像。この群像も定朝様で天喜元(1053)年に制作されたもの。 阿弥陀如来坐像を南北コの字形に囲んでならんでいる。南北半数ずつに分けて懸けられ、各像には南北1から26までの番号をつけている。各像はいずれも頭光(輪光)を負い、 飛雲上に乗ってさまざまの変化にとんだ姿勢をとっている。5躯は比丘形(僧形)で、他は菩薩形である。それらはいろいろな楽器を演奏したり舞を舞ったりあるいは持物を とったり、合掌したりしている。

鳳凰
鳳凰像 金銅(Cu-Snの合金)製鳳凰は鳳凰堂中堂の南北両端部に設置されていた。北方像・南方像の一対で、北方像は像高98.8 cm、南方像は像高95.0 cm。製作は長久2(1041)年に 定朝により原型が製作されたと考えられる。また、鋳造製作は本体部分が鳥羽の鋳物師、翼や風切羽は鳥羽の鋳物師によって鋳造された。 頭部・胴部・翼・脚部の各部は別々に鋳造され、銅板製の風切羽と共に鋲で留められ組み立てられている。円盤状の台座に立つ鳳凰は頭部に鶏冠・冠毛・肉垂が表現され、 太い眉と鋭い嘴をもつ。首から胴体には魚鱗紋が表現され、頚部には宝珠の付いた首輪がはめられている。風切羽は多くが後補(後世の補修)であるが、鋤彫すきぼり されている。


重要文化財 史跡名勝 新しい鳳凰

観音堂十一面観音菩薩立像 浄土院養林庵書院
観音堂
(重要文化財)
十一面観音菩薩立像
(重要文化財)
浄土院養林庵書院
(重要文化財)
平等院庭園新しい鳳凰
浄土式平等院庭園
(史跡名勝)
新しい鳳凰

観音堂
鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建造物とされている。全体的に簡素な建物ながら、垂木を地円飛角の二軒とし、天平以来の格式高い様式に倣っている。

浄土院養林庵書院
養林庵書院は桃山城の遺構と伝えられており、その障壁画は宇治市指定文化財となっている。床の間には雪景山水図、襖にはまがきに梅図、 天袋には花卉かき図が描かれている。作者はその作風から狩野山雪とみられている。

平等院庭園(浄土式庭園)
庭園は浄土式借景庭園で、平安時代から鎌倉時代にかけて築造された日本庭園の形式である。学術的には"浄土庭園"と表現されている。この方式の庭園は、仏教の浄土思想の影響を 受けており、平等院鳳凰堂に代表されるように、極楽浄土の世界を再現しようとしたため金堂や仏堂をはじめとした寺院建築物の前に園池が広がる形をとっており、寝殿造形庭園、 書院造庭園とともに、自然風景式庭園に分類されている。


鳳凰堂の仏後壁(阿弥陀如来の後壁)前面画

菩薩舞踏する菩薩 菩薩楼閣
菩薩舞踏する菩薩菩薩楼閣
飛天九品來迎図 観経九品來迎図中品下生
飛天九品來迎図観経九品來迎図中品下生

平等院と関連するもの

  
鳳翔館羅漢堂最勝院不動堂
鳳翔館羅漢堂最勝院不動堂
源頼政の墓扇の芝 10,000円の裏10円硬貨
源頼政の墓扇の芝10,000円の裏10円硬貨

平等院ミュージアム鳳翔館
宝物館の老朽化に伴い、先端的設備を導入して収蔵環境の改善を施したミュージアムとして新しく生まれ変わった。 新しい鳳翔館は、国宝の扉絵、梵鐘、雲中供養菩薩像などの貴重な遺産を収蔵公開するための館でありながら、鳳凰堂を中心に史跡名勝に指定されている庭園の 風致と調和した外観を実現するために大半を地下構造としているが、館内は自然光を意図的に取り入れるなど、照明の工夫を施している。さらに、展示物に 対する空間特性を生かす構造に配慮している。ここでは数々の宝物を一堂に展示するとともに、最新デジタル技術を駆使した復元映像展示や超高精細画像による 国宝検索システムを導入している。

羅漢堂
茶師星野道斎とその息子たちにより寛永17(1640)年に建立された。 主要部材が建立当時そのままに保存され、鏡天井に描かれた龍は彩色良く保存されている。

不動堂
不動明王を本尊とする最勝院の本堂。本尊と並んで役小角えんのおづのの像が祀られている。隣接する地蔵堂は地蔵菩薩坐像を祀って いる小堂。

源頼政の墓
治承4(1180)年5月、以仁王もちひとおうの令旨を奉じ、源頼政は宇治で平家との決戦に及んだ。衆寡敵せず敗戦して 平等院で辞世の和歌を残して自刃した。 毎年5月26日には"頼政忌"の法要が営まれている。
    *辞世の和歌 … 埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける …

扇の芝
源頼政は宇治川にて平家軍に追撃され、平等院で自刃した。最後を迎えるにあたり、軍扇をひろげて辞世の句を詠み、西に向かい "南無阿弥陀仏" と唱えた といわれている。



【参考文献・データ】
  1. 冨島義幸『平等院鳳凰堂 現世と浄土のあいだ』 吉川弘文館 2010
  2. 渡邉里志『別冊太陽 平等院 王朝の美 国宝鳳凰堂の仏後壁』 平凡社 2009
  3.       『週刊朝日百科 日本の国宝74』 朝日新聞社 1998
  4. 竹西寛子、宮城宏『古寺巡礼京都8 平等院』 淡交社 1976
  5. 平等院HP『http://www.byodoin.or.jp/』   2016