Last Update: May 13, 2007
![]() |
不到長城 非好漢 慕田峪長城: 北京市内から約70km。南北朝時代に最初に作られ、明時代に改修・整備された。ロープウェーもあり、土産物屋も素朴で気持ちよく観覧できる。なんといっても団体観光客が少なく、ゆっくり心ゆくまで散策できるのが素晴らしい。 |
![]() | |
![]() |
![]() |
![]() |
居庸関: 北京と北方とを結ぶ道にある要塞。 難攻不落の九塞の一つで、BC500年頃の戦国時代、燕が最初に造った。 現在のものは、宋の末期、明の初期に建設された大理石の門などが残っている。 この門は当時では珍しいアーチ型、かつては門の上にチベットの仏塔があった。門の上部にはインドネシアの神鳥ガルーダと蛇身の女神ナーダのレリーフが彫りこまれている。 最近、改修・再建されて、観光客誘致に力を注いでいる。一番上の画像は、1981年に撮影したもので、現在は特別保存物として柵が施されて、通ることができないようになっている。 |
![]() | |
![]() |
![]() |
頤和園: 北京の西北約15kmにある、万寿山と昆明湖からなる中国の典型的庭園で、面積290ha。 清王朝の離宮で、西太后が晩年過ごした。中国で最大規模の皇室庭園である。 |
![]() | |
![]() | |
![]() |
長廊: 全長728mの回廊、両側に約7800点の三国志、西遊記などの画が描かれており、前面には昆明湖を模した湖があり、この湖でミニ海戦演習をおこなって西太后は喜んでいた。 清朝の崩壊前夜だったのかも? |
![]() |
石舫・昆明湖: 南洋艦隊建造費を流用してつくった離宮庭園で、これ以上沈まない石舫にのって西太后は心を癒していたとか。 女帝の軍事費流用のおかげで?日本海軍が勝てたとの話もある。 |
![]() |
![]() |
円明園: 万暦帝の祖父が清華園として造園、その後、乾隆帝は長春園、綺春園を増設して、3園を総称して円明園とした。 清代中期には、ベルサイユ宮殿を模した豪華な「西洋楼」が建築された。1860年10月アロー号事件(第二次アヘン戦争)中に、フランス軍は円明園に侵入、貴金属や宝石類を略奪、破壊の限りをつくした。その後イギリス軍が放火した。 これにより石造りの美しい宮殿は廃墟と化し、いまも崩れた石柱や大理石のロココ調彫刻が転がっている。清華大学のすぐ隣にあり、"大地の子"(NHK放映)の舞台にもなった。 |
![]() | |
![]() |
![]() |
正陽門:
天安門広場の前にあり、一般に"前門"といわれている。
旧北京駅:
老車站商城(The Station)の名で、お洒落なストアーとして復活・再生している。
2階にはインターネットカフェがある。瑠璃廠:
昔の中国(清朝)の家並みが残る街。
骨董、文房四宝、古書の掘出し物を探す事ができる。
※文房四宝とは、筆、墨、紙、硯。全衆徳:
前門大街にある北京ダックの本家、全衆徳本店。
紫禁城(故宮):
1912年、清朝が倒れるまで約500年間元、明、清3王朝の権威の象徴であった。広さは東西約750m、南北約960m、720,000u の広さがあり、正門である"午門"は世界最大の木造楼門である。九龍壁:
九龍壁は故宮皇極殿にある皇極門まえの壁に瑠璃瓦でつくられている。この瑠璃瓦の1枚が木彫りに着色した瓦がはめ込まれていた。 中国の三大九龍壁の一つ(あと二つは北海公園と大同にある)。天壇:
明、清王朝の皇帝が天に豊作祈願を行った場所。永定門大街の東にある。
香山公園:
北京の西北にあり、金時代に香山寺が建てられた。1677年、康熙帝は離宮として修築して、静宣園と呼んだ。園内には人造湖がいくつかあり、水辺の景色が素晴らしい。