Written by Shigeki Miyoshi
奈良県明日香村にある飛鳥資料館で、平成18年5月12日〜28日の17日間、キトラ古墳の石槨(石室)内面に描かれている四神のうち"白虎"が一般展示公開された。西壁から切り取られた実物の"白虎"を見る機会は2度とないとおもわれるので、この期間に飛鳥資料館周辺の探索もしたいとの想いででかけた。 5月17日(水)朝6時、参加者43名とともにバスをチャーターして大和三山(畝傍山、天香久山、耳成山)に囲まれた神話、万葉歌のふるさと明日香村へ。大阪を過ぎるあたりから降りだした雨は、9時30分明日香村へ着いたときは本格的な雨天になっていた。なにはともあれ今日のメインディシュである実物の"白虎"を見るために飛鳥資料館へ急いだ。ウィークデーで、こんな降雨にもかかわらず入場するのに60分待ち。それにしても飛鳥の古墳文化に対する憧憬、研究心(好奇心?)のある人の多いことに驚かされた。 飛鳥資料館に入場しても、館内でまたまた人の列、めざす"白虎"まではなかなか到達できない。やっとのおもいで壁面から切り取られた実物の"白虎"にご対面、第1印象は、想像していたより小さかった(縦25p × 横45p、漆喰部は80p × 80p)。第2印象は、勇壮で躍動感がある描写、見開いた目、開いた口からしっかり見える牙、色鮮やかな赤い舌、細長いスマートな胴、踏ん張った脚など、うっとりと見とれるほどだった。
石室から剥ぎ取った"実物の白虎" | ||
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館内の別コーナーでは白虎以外(青龍、朱雀、玄武)のパネルも展示してあり、石槨内部の様子がよくわかるように工夫してあった。特に、いまにも飛び立とうとしている朱雀は1300年を経た現在でも見事な朱色をしており、当時の描写技術のたかさ、成熟さをうかがい知ることができる。
[追記] 2007.2.15 技術的に切り出しが難しいといわれていた "朱雀の壁画" が文化庁の手により成功した。これにより四神すべてが保護・保存のための処置がなされる。
-- 文化庁提供の写真 --
奈良県高市郡明日香村大字阿部山小字ウエヤマ136-1(高松塚古墳から南約1q)にある丘陵の南斜面を幅20m 高さ4mわたって半円形に削り、そこに直径14m の2段築成の円墳が造られている。内部の主体は横口式石槨(石室)で、築成された時期は7世紀後半から8世紀初め頃の終末期古墳である。 明日香村教育委員会の調査によると2段円墳の上段は直径 8.8m 、下段は 13.2mで、上段と下段の比率は2対3で構成されている。石槨(石室)内部には、わが国で唯一の極彩色四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)壁画が揃っており、他に類を見ない貴重な古墳である。
「キトラ」の名称は、所在地の「北浦」が転じたといわれている。
1978年頃にその存在が知られるようになった。1983年11月には、鎌倉時代初期の盗掘口(南側)からファイバースコープを入れた調査で北側の玄武壁画が発見され、1998年3月には小型カメラで石槨内部を再調査して青龍、白虎、天文図が発見された。2001年3月にはデジタルカメラにより南壁に朱雀を発見した。12月に東壁下段に寅の獣頭人身像が、2005年6月には南壁盗掘口から流れ込んだ泥土層から午の獣頭人身像が見つかった。
四 神… 中国の神話に登場する世界の四方向を守る霊獣。東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武で、それぞれ川海道山(春夏秋冬)に対応している。四神は「陰陽五行説」という中国の思想から生まれた。キトラ古墳では南壁の右上(石室内部から見て)には盗掘穴があるが、幸運にも朱雀壁画は盗掘のさいの破壊から免れた。
青龍(東・春) | 朱雀(南・夏) | 白虎(西・秋) | 玄武(北・冬) | |||
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天文図… 現代の科学的な星座によく似ており、中国の星座と赤道、黄道、内規、外規の4つの円が描かれている。8世紀に描かれたと推定されるので世界最古の天文図といえる。
十二支… 獣頭人身像で、東壁に寅・卯、北壁に子・丑・亥、西壁に戌、南壁に午の7体が確認されている。
両古墳の"白虎" 壁画を比較してみると、キトラ古墳のものは右向きで、高松塚古墳のものは左向きになっている。しかし大きさや形は良く似ており、向きが異なるだけから、同じ手本(原図)を裏返して描いたとも推測される。 キトラ古墳の四神壁画はすべて右向き時計回りであり、これは星の運行を表わした天文図(星宿)と連動させていると考えられる。西(秋)の白虎は北を向き、北(冬)の玄武は東を向き、東(春)の青龍は南を向き、南(夏)の朱雀は西(秋)を向いて季節が循環することを表わしている。 高松塚古墳では、白虎は青龍と同じように南を向いている。星の運行や季節の概念から遊離した考え方で、南側にある入口に睨みを利かせており、より現実的な人間臭を漂わせていると考えられる。
(キトラ古墳) | (高松塚古墳) | ||
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曽我馬子の発願で建てられた日本で最初の本格的な寺院。本尊は金銅釈迦如来坐像(飛鳥大仏)で重要文化財になっている。この寺の庭は、大化改新で活躍した中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が蹴鞠会で最初に出逢った場所として伝えられている。
飛鳥寺 | ||
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もとは甘南備山にあったが、飛鳥の神南備である鳥形山に移したと伝えられている。祭神は事代主神、高皇産霊神、飛鳥神奈備三日女神、大物主神(大国主神)の4神を祀っている。境内のあちこちに陰陽石が置かれ、土俗的な雰囲気がある。奇祭といわれる「おんだ祭」は性神事で有名。
飛鳥坐神社 | |
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※おんだ祭(2月第1日曜日) 五穀豊穣と子孫繁栄を願うお田植神事で、おおらかな古代の性をうたいあげる行事として広く知られている。農耕おどりのあと、お多福と天狗が床入りから夫婦和合の行為を演じる開放的な祭り。
日本書紀に中大兄皇子(後の天智天皇)が日本で初めて水時計を作って時刻を知らせたと書かれている。1981年に飛鳥水落遺跡が発掘確認された。遺跡とともに水時計装置、木製水槽、水時計を設置した建物などが発見された。 現在の状況は、発掘した柱の穴跡に25本の短い柱を立てて、基壇は 20p 角の石を埋め込んでいる。
飛鳥水落遺跡 | ||
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レンタサイクルを利用して飛鳥地区の旧跡を自由に廻る予定を立てていたが、あいにくの雨で足元が悪く万葉文化館の周辺の徒歩による場所に限られた。天気の良い日に、時間をかけて鑑賞・研修すればまた違った発見、驚きがあったように思える。 飛鳥には古墳が数多くあり、なかでも極彩色の壁画がある高松塚古墳とキトラ古墳は双璧で、日本と大陸文化とのつながりを知る上で大変重要である。 キトラ古墳は、鎌倉時代に盗掘されたにもかかわらず南壁の朱雀が無傷で残っていたのは驚嘆に値する。 現在二つの古墳とも特別史跡に指定されており、特に高松塚は国宝にもなっているが、カビの発生という大問題を抱えて文化庁も頭を悩ませている。石槨内部の壁画保存にむけて関係者が日夜努力を重ねて修復管理することに邁進しているので、近いうちに良い方向へ向かうことを確信する。 冒頭にも記したが、大和三山に囲まれた風光明媚な飛鳥の藤原宮では、8世紀の人々が何を考え、どんな生活をしていたか、また万葉歌に酔いしれていた人もいただろうと想像するとますますロマンが広がっていくのは私だけだろうか。1300年の時空を経てスポットライトを浴びた実物の"白虎"、これを身近に見て感動した同行の一人が詠んだ一首を紹介します。
剥ぎとられ白虎の壁画よみがへり 彩あはくして線の鋭し
《参考文献・資料》